ねこの観た
春一番コンサート2005「ありがとう」


想い出の音楽



音楽って不思議だよね。
それを聴いてたときの自分に、瞬間的に引戻してくれるもんね。
最近ヒーリングミュージックとか流行ってるじゃない?
確かにそれを聴いていて気持ち良いだけど、私達には、もっと強力なヒーリングミュージックがあるんだ。
その音楽達の事をここで紹介します。とってもとっても個人的なヒーリング音楽

♪♪♪

ねえねえ
春一番コンサートって知ってる?
大阪でずっとずっと昔にあったの。(1970年代ずっと)
場所は天王寺の野外音楽堂。隣りが動物園でさぁ大きな音出すと猛獣が暴れるからってクレームが来るような所だったんだよ。
福岡風太って言うお兄ちゃん(?)が沢山の友達と始めたの。
まぁそのコンサートについては色んな人がHPに書いてるからそれを検索かけてみて。
春一番コンサートで引っかかると思います。

私は、多分1974年に初めて行ったと思う。
まだ子供だったけどね。
それから、1980年に終わるまで毎年通った。
そりゃアナタ、青春でしたよ。他聞にもれず悲しい事、辛い事いっぱいの時期。
その青春時代にずっと春一コンサートに出てた人達の唄が流れつづけていたんだ。
一番多く聴いていたのは
ディランU
大塚まさじ
さんと永井ようさんって言う二人のデュオ。
でも最初のころはそこに
西岡恭蔵さんって言う人も居たんだ。
初代の春一番コンサートが終わったのと私の就職したのが同じ時期で音楽から少し離れたの。

何年かしてその西岡恭蔵さんって言う人がBUNちゃんてって言う人と
kyozo&bunってバンドを始めてその頃またライブハウスに通うようになってたなぁ・・・。
でもなかなか大阪ではライブがなくて、ちょと淋しかった。
Kyouzoさんってとってもやさしい人でね、ファンレターとか書くと必ず丁寧なお返事を書いてくれた。
いつもブルーのインクで体と同じ丸っこくって大きな字でお手紙くれた。
Kyouzoさんの奥さんでKUROちゃんって言う人がとっても素敵な詩を書いていて大好きだった。
彼らの唄で色々な場所へ連れていってもらえたなぁ。
ニューヨーク、ジャマイカ、アラブ、スペイン、南の島、とか・・・。
kyozoさんの書く唄って、私のいつも心象風景とぴったりと重なってた。

悲しい時には慰めてくれるし、落ち込んでいる時には勇気付けてくれたんだ。
暗くったってそれはそれで良いんだって教えてくれた。
優しさに優しさを重ねて、悲しい程優しい顔した女を唄ってくれたっけ。
あの頃私の憧れの女性像だった。
でも、カラオケには入ってないよね。
もしかしたら
「プカプカ」ぐらいは入っているかなぁ。

次の春一が始まったのが1996年。だいぶん年取った風太さん・・・
でもやっぱりカッコよかった。
ちょうどその時も私の大きな転機だったんだ。
1996〜97年の2回は、大阪城野外音楽堂。
(初代の天王寺はパンダが来るからって取り壊されたのに結局パンダなんて来なかった)
その後は服部緑地の野外音楽堂。
5月の服部緑地の野外音楽堂はとっても気持ち良いんだよ。
風が吹くとふわぁ〜っとクローバーの花の香りがただよって、夕方になるとタンポポの綿毛がいっせいに飛んでくるんだ。
演奏が始まると同時に入場で、私達はいつもお弁当を持って行くからその荷物を手にいそいそと入っていくの。
それで5月の日差しの中で、色々な音楽を聴きながら腹ごしらえ。
もちろんビールもタバコもOK!
午前11時から午後7時ぐらいまで、1バンド20分位づつず〜っとあるんだよ。
それが3日間!
雨が降ったら雨傘を差して、日が照ったら帽子や日傘、そんなに人が一杯じぁないから後ろの人の邪魔になったりしないしね。

初代春一からずっと唄っている人。
一度やめたけど2代目春一が始まってからまた唄い始めた人。
初代春一に憧れていた子供達。
初代春一の頃には、まだ生まれてなかった人。
そんな人達が同じステージで、思い思いの演奏をしてくれるんだ。

悲しかった時にずっと聴きつづけた唄達淋しかった時にずっと聴きつづけた唄達誰かを愛していた時に聴きつづけた唄達
馬鹿みたいに何度も何度も聴いた。
何かを始めようと思っていた時に聴いた唄達
不安に押し潰されそうな時に聴いた唄達・・・

結局そんな
「時」は過ぎ去ったんだ。そして、残ったのは、楽しい想い出
だからこそ、その沢山の唄達が
私達を慰め、勇気付けてくれる。
「そう、今のその不安や、辛さも、何時かきっと楽しい思い出になるよ」って。
それに、辛くって仕方なかったけど若くって元気だった自分に引戻してくれる。

だから、美しい音色や旋律のヒーリングミュージックは、私達には必要無いんだ。
随分年取ったけど、ムチャクチャカッコいい福岡風太さんと、ムチャクチャ恐い顔してるけど、話すとそうでもない安部さんを見るだけでもソンは無いよ!

5月の連休に
「春一番コンサート」を観に行くってどうですか?
貴方の何年か後に、その唄達が貴方だけのヒーリングミュージックになるかもしれないよ。
♪♪♪

西岡恭蔵さんについて
kyozoさんの唄には、本当にお世話になった。
でも、最初のうちは大塚まさじさんの声で聞いたことの方が多かったけど。
初代春一が終わって、kyozo&bunになってからの方がkyozoさんの声で良く聞いたかな。
kyozo&bunの一周年記念ライブを観に、東京まで行ったっけ。
そうそうその時のライブテープが当ったんだ(
宝物!
それから何年かして神戸のライブの時、なんか調子悪そうだった事もあった。
いつも楽しそうに唄う人だったのに、なんか辛そうだったりして。
kyozoさんってクリスマスが大好きだったんだ!
私達もクリスマス大好きだから、毎年新しいクリスマスソングが出来るの、とっても楽しみだった。
その年その年でテーマがあって、それに沿った唄を作って聴かせてくれる。
もう少し生きてたら、クリスマスソングだけでアルバムを作ってくれるって言ってたのに・・・。
そう、もう死んじゃったの・・・。
もう何年になるんだろう。
kyozoさんが亡くなる2年前に奥さんのkuroちゃんが病気で亡くなったの。
その前の年にライブでkyozoさんが突然
「私は妻を愛している」なんて言って、どうしちゃったのかなって思ってたら、闘病生活中だったんだね。
だってわざわざ口にしなくっても本当に愛し合ってる夫婦だって判ってたもん。
その最愛の妻を亡くしたkyozoさん、沢山の仲間達と
追悼アルバムを作ったんだ。
そのアルバムも私達の宝物。
kuroちゃんが亡くなったのを知ったとき、私、手放しで大泣きした。
自分でも何がなんだか判らないのに、ただただ涙が出てきて、最後には大声で泣いた。
多分、私の中の一つの青春にピリオドが打たれたんだろうな。
その年のクリスマスは辛かったなぁ・・・。
なんかゴスペルみたいなクリスマスソングで、ステージでみんなが唄い始めた途端涙が流れ出してずっと止まらなかった。
涙でにじんだkyozoさん達の上に、白い鳥に乗ったkuroちゃんが笑いながら飛んでるみたいな気がしたんだ。
あの曲もう二度と聞けないのかなぁ・・・。

2004年の春一番で、とうとうこの幻のアルバムを見つけた!
二人で聴いたこの時のライブの音源を使って大塚まさじさんが作ってくれてたんだ。
ねこはライナーノーツを読んだだけでまたしても、泣いてしまいました。
今になって恭蔵さんの声でクリスマスソングが聴けるなんて(T.T)
聴いたらまたしても涙涙涙!悲しいだけじゃない・・・不思議な心のふるえ・・・
どうしても紹介したいから、此処に歌詞を書いておきます。
著作権とか問題があるのかなぁ(‥ゞ
でもでも大〜好きだから、叱られるまでは此処に載せておきます。

Glory X'mas 作詞作曲 西岡恭蔵
(Refrain)
今宵は Glory X'mas 神様に召された
お前が夜空で 天使達と唄うよ
Glory X'mas Hallelujah
Glory X'mas Hallelujah

お前が居ない 今年のX'mas
二人で書いた X'masの唄を
一つ一つ心を込めて 唄うから
天国の お前の魂に届け
(Refrain)

  あの日出会った 異国のX'mas
  人々が集う 光の波を
  石の町に低く響く 祈りの唄を
  今もお前は 覚えているのか
(Refrain)

  あなたが唄った 生きる喜び
  あなたが信じた 愛する心
  あなたが夢見続けた 素敵な明日
  深くこの胸に 刻んで唄おう
(Refrain)

それで次の年の春一番には、元気そうな姿を見せてくれてちょっと安心したんだ。
でも、本当は大丈夫じゃなかったんだね。
二年後の四月にkyozoさんはkuroちゃんを追いかけて逝っちゃった。
テレビや新聞でも報道されたよ。
それを知ったとき、私、なんだか放心状態だった。
kuroちゃんの時みたく涙が出なかった。
何でだったんだろう???

kyozoさんとはライブの後に何度か話したぐらいだったんだけど、もっともっと身近な感じだったんだ。なのに涙が出なかった。
ソウルメイトみたいな存在だったのかも知れない。だって同じ風景を描いてたんだもん。
死んでしまってもそんなに遠くへ行った感じがしなかったんだ。
でも、もうライブで観ることは出来なくなった。
嬉しそうに唄うkyozoさん。周りの人を唄わせるのが大好きだった。
みんなでkyozoさんと声を合わせて唄ったら、kyozoさんはとっても嬉しそうに笑った。
ありがとう。大好きな大好きなkyozoさん♪

♪♪♪


北京一
さんのこと
昔々に、漫才をやってた人♪
ねこの憧れの人です(*^_^*)
春一番にも出てた。でもねこが一番衝撃を受けたステージは、初回の
8.8ロックデー
ソーバッドレビューって言う伝説のソウルバンドで唄ってた。
そんなに唄は上手じゃないよ。でも、存在感が群を抜いてた。
これぞ大阪!って言う唄を唄ってた。
漫才もやめ、ソーバッドレビューも解散して、ダンスの勉強をするって海外へ行っちゃったんだ。
帰ってきてから一度本名でパントマイムのステージをやったの観たことがある。
凄くセクシーなの・・・。声もだけど、身体の動きが。
それとkyozo&bunの1周年記念ライブにも出てたよ。だからその時の唄のテープ持ってる!!
それまでパントマイムって全然興味なかったんだけど、京一さんのステージを観てから
はまった
それで違う人のも観たりしたけど、
やっぱり京一さんが一番セクシー。
まぁ、マルセルマルソーは凄かったけど・・・。
でも、マルセルマルソーはおじいちゃんだからセクシーさでは京一さんの勝ち!

96年に2代目の春一が始まったとき、京一さんも出てた。
ただ次の出演者の名前を書いた紙を持って出てきて、ステージの上でそれを破くだけの演出だったんだけど、私の目は彼の動きに釘付けだった。
97年のプレ春一のときは、バナナホールで京二さんと漫才をやってたなぁ。
なんか、凄い照れてて可愛かった。
また京一さんのステージ観たいなぁ!
♪♪♪



一時期
「たま」はまった♪
たまってバンド覚えてる?変な格好の4人組。
なんか軽い音楽ばかりが巷に流れ始めたときに、突然出てきたんだ。
それも、思いっきり奇妙な唄をひっさげて!
♪今日人類が始めて〜♪なんて唄ってた人達。
何がきっかけだったのか忘れちゃったけど、何故かはまったんだよねぇ。
丁度その頃、ねこは会社経営なんかやっててさぁ・・・。
(思いっきり貧乏会社のうえ、更に問題山積み!)
柄にもなく大人ぶって経営者なんかやってたわけ。
そんなときに「たま」の音楽が心を揺さぶったんだよ。
「大人になんてならなくったって大丈夫だよ〜♪」
って唄ってるみたいだった。
なんか自分の足下を見つめ直した。そのきっかけをくれたバンドだったんだ。
薄暗〜い色合いで、懐かし〜い風景を見せてくれたなぁ。
kyozoさんとは種類の違う心象風景と重なったの。
私っていつも自分の心象風景と重なるものを探してる。
唄もそうだし、絵画だってそうなんだ。それが私の価値基準!
そうそう、
たまって友部正人さんと一緒にアルバムも作ったんだ。
友部正人さんもやっぱり春一の常連さん。
ねこもきりぎりすも大好き!彼の唄ってなんか心の琴線をかき鳴らすんだ。
ずっとずっと同じスタイルで唄い続けてる。
それって凄いことだよね♪
♪♪♪


TOPページに戻る



暗いのが好きな人はどうぞこちらへ