和歌山編

2003年12月2日
ゾーさんと和歌山辺りへ行った。
夏前ぐらいからずっと気になっていた場所だったのですが、なかなか気分が乗らずに行けなかった場所。やっぱり神社へ行くのは、タイミングが必要なのでしょう。
今回行った神社は、大別すると二系統。
和歌山辺りというとまず頭に浮かぶのが雛流しで有名な淡島神社。
でも、大量の人形を納めた所と言うことで、ちょっと気持ち悪いし今回はパス!!
後は、神武東征の神話で、神武天皇のお兄さん五瀬命が負傷して此処で崩御なされ祀られている場所でもあります。
神武天皇と言えば日向から大和へ向かった初代天皇。
出雲系大好きの私達は、天孫系なのでそれまであまり興味を引かれなかったのです。
でも、もうそれも関係なくなってきたからか、今回はまず彦五瀬命のお墓と言われている竈山神社から・・・。
でも、最初の予定では違う神社から回るはずだったんだけど、何故か一番近かったはずのその目的地にたどり着けず、意図せず竈山神社にたどり着いてしまったという経緯あり。やっぱり、ここへ最初にご挨拶する必要があったのでしょうね(^_^;)

竈山神社(本当はもっと難しい竈の字ですが変換で出て来ないのでご勘弁を
m(_ _)m
御祭神は彦五瀬命

拝殿です

この拝殿の後ろが山になっていて、たぶん古墳になっているのだろうと思われます。
なんだかシーンとしていて、本当に此処に誰かが眠っているんだなぁと言う感じがあります。
気場としては、やっぱり後ろの丘が最高の場所。拝殿の右横辺りから後ろの山に向かってゾーさんがお仕事をしてくれました。

いつも後ろ姿のゾーさんです(^^ゞ

なんて言ったら良いのかなぁ・・・。ねこ的な表現をすると「死んだ人は限りなく優しい」って感じかな。此処に眠っている人も、自分を殺した人に恨みがあるわけでもなく、自分はこうなるしか他無かったって言うような潔さがあって、今は静かにただ見ているだけの存在になっておられるようでした。だけど、きっと必要な時期が来れば目覚めて人々のために力を尽くしてくれるのではないでしょうか(#^.^#)

境内を出た所にある大きな木にもゾーさんは光のマニ宝珠の大神様をしてくれました
(^^)v



その後は、やっぱり出雲スサノオ系
伊太祁曾神社で〜す。(またしても上手く変換しない・・・祁のしめすへん「ネ」が「示」の表示です) イタキソ神社と読みます。

不思議な形の鳥居ですね。橋を渡って拝殿です

御祭神は五十猛命(大屋毘古神)スサノオの子供で、スサノオとともに全国に木の種を蒔いて、この国を豊かな自然に導いてくれたという神様です。造船や建築、つまり昔木を使って作っていたものに御利益があると言う事です。
左脇には大屋津比売命 右脇には都麻津比売命 このお姫様方もスサノオの御子神と言うことです。姫神に囲まれてハーレム状態かと思ったら妹たちでした
(^_^;)
御紋が変わっていて丸の中に太の字なんです。伊太祁曾の太の字と言うことですが、やっぱり出雲の熊野大社の御紋「丸に大」と関係があるんじゃないかな。だってスサノオの御子神ですもの♪
写真の鳥居をくぐって橋を渡り、それから階段を上った所にある建物の向こうが拝殿になっています。

五十猛命の拝殿です 同じ棟で左右に姫神様がおられます

左右に姫神様が祀られていて、更に向かって左側に鎮魂石としてのおさる石があり、その横に蛭子様がおられました。











参拝者が気を静めるのに撫でたとか・・・ 蛭子社

写真右側の蛭子社の前に、エネルギーの出口(?)があってしばしその上でエネルギー浴♪
神社って、たまに全然関係ないような場所に出口があるんだよね。それを見つけると思わず踏んづけてにんまり
(^_-)
大きさはどこでもだいたい人が一人立てるぐらいの大きさで、まず地面の色が違って、手をかざすと暖かかったり風を感じたりします。その中に入るとちょっぴり髪の毛が逆立つような感じがすることもあります。見つけたら是非踏んづけてみて下さい
(^^)v
で、此処ではそのスポットに向けてゾーさんにマニ宝珠の大神様をやって貰いました。
で、する前と後では吹き出しているエネルギー量が格段に増えたので、やっぱり神様が喜んでいるんだなぁって・・・
(#^.^#)

この神社元はこの後で紹介する日前国懸神宮に祀られていたらしいのですが、垂仁天皇の頃御遷座。元の位置は今の神社から南東に500mほど離れたところにある「亥の森」と言う場所らしい。今回は行ってないので、もう少し暖かくなったらもう一度しっかりと探索してみたいところです。




その後市街地に戻ってお昼ご飯を食べた後、本当は最初に行くはずだった日前国懸神宮
この長い名前の神社、ヒノクマ・クニカカスと読みます。ニチゼングウと呼ばれていたりもするようです。地図で調べたときには、ちょっと離れたところに二つあると思っていたのですが、行ってみると同じ境内、左右に日前神宮と国懸神宮が収まっていました。

日前神宮の御祭神は日像鏡をよりしろとして日前大神。天の神を象徴しているようです。
どうも我が愛しのニギハヤヒ様と言う説もあります。
でも、社伝に依りますと天照大神が岩戸にお隠れになったとき、そこから引っぱり出すのに作った鏡の一番最初のものが、あまり美しくないと言う理由で使われなかった。で、それを此処に祀ってあるとか・・・。そう言えば田原本編でもそう言う謂われの神社が・・・。で、その名前が天照国照天火明〜だったよねぇ。と言うことは此処にニギハヤヒ様が祀られているというのも納得か!
相殿には思兼命と石凝姥命。つまり岩戸開きの策士と鏡作部の祖神ですね。

国懸神宮の御祭神は日矛鏡をよりしろとして国懸大神。天道根命(紀氏の祖) 大地の神を象徴している。
何故此処に日矛の鏡が???まぁ、神社巡りをしていると???の無いことの方が多いのであまり深く考えないようにしましょう
(^_-) そのうち答えは向こうからやってくるし♪
相殿には玉祖命 明立天御影命 ウズメ命
天道根神は、ニギハヤヒに随伴していた武神だとか・・・。やっぱりこっちにもニギハヤヒ様の影が♪

日前神宮(天の神) 国懸神宮(大地の神)

同じ作りの神社です。参道を歩いて、突き当たりにはなんか遺跡のような感じで強い気場があり、その左右にこの両宮が祀られています。一番強かったのはやっぱり正面でした。
そのほかにも境内には沢山の森があり、どの森も気場になっていて、上手に気の調整がされているようです。
いったい、この場所で何を守っているんだろう?

正面の禁足地

帰って調べた所によると、元はこの奥にずっと社地が広がっていて、色んな建物もあったようです。もしかしたら左右の両宮は狛犬さんのように奥を守っていたのかなぁ・・・?
それにしてもいつもの事ながら「先に調べていけよ!」って感じですね(^^;ゞポリポリ
たいてい神社の名前でピンと来たものを、場所だけ調べて、白紙に近い状態で行ってみてから感じることを大切にしているのです。ナ〜ンチャッテ、ただ出たとこ勝負でズボラなだけなんです
(>_<)

日前宮前の広場にあった摂社末社 なんだか不思議な感じですよねぇ

此処は、沢山の摂社末社があって、どなたがお祀りされているのかもよく判りません。
実際、神社の方でも判らなくなっているとか・・・。

豪族としての紀氏が、凄い力を持っていたことの証明なのかな?
此処に更に伊太祁曾社もあったわけだし・・・。
大きくなりすぎた力を削ぐために中央から遷宮の命令が出たとか?
歴史の謎は深い!!


今回初めて和歌山辺りに行ったんだけど、出雲とは全然関係なさそうに見えていた此処も、結局やっぱりスサノオの縁の場所でちょっとびっくり。
それと最近仕事で大阪の堺の方へも行くんだけど、あの辺りもやっぱり鎮守様はスサノオ関係の神社。
スサノオの力が及んでない土地って日本にあるんだろうか?
探すのが難しそうだねぇ。

と言うことは、どこへ行ってもスサノオ様には会えるって言うことか
(^^)v

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