大阪 四天王寺

2005年8月10日 四天王寺へ行った。
四天王寺と言えば、およそ1400年前の推古天皇の時、聖徳太子が建立した日本で最初の官寺。
確か、学校の時の歴史の時間に習いましたよね〜
(^_-)
ちなみに、ねこは・・・授業中ほとんど・・・っていうかぁ、ず〜っと寝てたから、大人になってから勉強しました
(^_^)v

蘇我馬子と物部守屋の戦いの時に、聖徳太子が「霊木」を切って四天王像を彫り、髪をひさごばなに結い上げて、「もし敵を倒すことが出来たら、必ずこの四天王(護世四王)のために寺を建てます」と誓いを立て、それで劣勢だった蘇我馬子が物部守屋を打つことが出来たので、このお寺を建立したという故事です。覚えてますか〜?
日本最初の宗教戦争などと言われていますね
(^_-)
まぁ、事実はどうか分からないのですが、一応そう言う経緯で建てられたお寺だそうで
す。

創建以来何度も戦火により焼失していて、その度に再建されていると言うことですが、伽藍配置は、創建当時のままだそうです。
最後は、昭和20年の空襲で七堂伽藍の大半が焼失し、再建されたので、ちょっと新しい感じが在ります。

配置は、四天王寺様式で、仁王門、五重塔、金堂、講堂が、南北一直線に並んでいます。

この写真は、駐車場からの入り口になっている南大門を入ったところから撮りました。
立派なシビの見えるのが仁王門。
その後ろが五重塔で、金堂、講堂がその後ろに並んでいます。

ここから左手に回っていくと、万灯院、阿弥陀堂とあり、弘法大師を祀る大師堂があります。

万灯院 結縁の紐が出てるお大師さんの像

右の写真の大師像・・・(お顔がちょっと好みのタイプではないのですが)錫杖から紐が伸びていて、端っこに触れることによってお大師さんと「握手」したことになるのかも!!(ちょっとアイドルの握手会をイメージしてしまいましたf^_^;

で、この日はお盆とあって、境内に出店が並んでいました。

まだ午前中なので、人が少ないです。
帰る頃には結構人も、お店も増えていました。
怖くて写真は撮れなかったのですが、生きてる白蛇さんを連れた、お札売りもあったんですよ!

今回は、駐車場横から入ったので、潜ってないのですが、四天王寺さんは、お寺なのに鳥居があります。
それも、石の鳥居で、結構珍しい。説明書きによると、鳥居というのは仏教が生まれたインドでは、聖地の四門を守っているものだとか!
この鳥居を潜って、極楽門を潜り、西重門から入るのが普通らしいのですが、それだと堂塔伽藍が横に並んでいることになります。
パンフレットの境内案内図を見ると、講堂 金堂 塔 仁王門 南大門は確かに一直線に並んでいるのですが、その後ろ(北側)にある石舞台だとか六時堂、北鐘楼 太鼓楼は、微妙にずれてるんだよね〜。なんか気持ち悪いなぁ・・・。
再建の時に何かの事情でずれてしまったのか?それとも最初から何か意味があってずらしたのか?謎です・・・(-_-)

西重門を潜り、中に入ったら、万灯供養の残骸が!!
そう、この時期夜には千日参り盂蘭盆会の沢山の蝋燭が灯されます。
朝になると、その蝋燭の残骸をお掃除して、また夜に其処に蝋燭を立てるわけですね。
な〜んにも知らず、簡単祐気取りで行ってしまった私達は、ちょっとびっくり(^_-)
そのまま、一番近い金堂に入って、お参りしました。
ご本尊は、救世(ぐぜ)観音菩薩。四方に四天王像が力強く立って居られます。
このお堂は、昭和36年3月の再建だそうなので、私達より若い!!
とても蒸し暑い日だったのですが、お堂の中はエアコンが効いてて、なかなか心地よかったです。

金堂向かいの五重塔にも登れるのですが、私達は前に登ったので今回はパス!
で、回廊に戻って、龍の井戸を覗き込みました(*^_^*)

なかなか凛々しい龍君でしょ〜♪ 井戸の底に龍が・・・!

実はこれ、井戸の上に屋根があって、その天井に龍の絵が描いてあるわけです。
それが井戸の水に映って、水の底に龍がとぐろを巻いているように見えるんです。
まぁ、写真ではあんまりよく判らないですが・・・。面白い趣向でしょ(^_-)

この後、講堂でお参り。
こちらは、聖徳太子が法華経と勝鬘経を講讃された場所だそうです。
中が夏堂と冬堂に別れていて、夏堂には、阿弥陀様。冬堂には、十一面観音様がまつられています。
この中をお参りしながら通り抜けると、亀井堂に出ます。
さすがにお盆時だけあって、卒塔婆供養の人達が沢山。
お堂の中では、プロ(!)の人が枝の長〜い柄杓の中にいっぱい卒塔婆を突っ込み、井戸の水でご供養をされていました。
皆さん真剣な様子で、叱られそうだったので、その様子は写真に撮りませんでした(^^;ゞポリポリ

お堂の外の亀井不動様。苔がおしゃれ〜♪ 亀と言えば・・・天王寺の泥亀!って・・・古い?

此処から右手に行くと亀遊嶋弁天堂があって、八臂弁財天がお祀りされています。
ちなみに八臂弁財天と言えば、玉置神社さんにも・・・。
亀井堂を出て、今回私達は左に向かって歩き、亀ノ池の亀を激写した後、六時堂にお参りしました。

重要文化財、六時堂です。
前の池が亀ノ池で、其処に石舞台が橋のようにかかっています。
毎年4月22日の聖霊会舞楽大法要で、舞楽が舞われるそうです。
その時には、きっと泥亀さん達も観るんだろうな〜。
ちなみに、此処の舞楽・・・本当に日本離れしていますよ〜(^_-)
中国を飛び越えて、ペルシャ辺りまで繋がってます。


この辺りで、暑さでちょっとめげ、休憩所で水分補給。そこで境内の案内図を観ていて今まで行ってなかった場所を発見!
スポーツドリンクで水分補給の後北西の角の方へ行ってみた。
まず、英霊堂と言うのがあったのですが・・・なんか・・・思い出しそうな・・・(^,^;)
明治39年建立で、当初は阿弥陀如来を祀り、大釣鐘堂と呼ばれていたらしい。
当時では世界一の大梵鐘が釣られていたらしいのですが、第二次世界大戦の時に、その釣鐘を供出してしまったとか。
それで、今では、その釣鐘を鋳直した武器を持って戦ってくれた人々を慰めているんだろうな〜(‥、)
でも、その〜・・・ねこの記憶の中で、その釣鐘堂は・・・今見てるものより、もっと新しいんだけど・・・(^^;ゞポリポリ
まっ良いか!
此処にも龍君が居たので、ちょっと撮してみました♪

この朱と緑がもっと鮮やかだった時を知ってるんだ〜 大黒堂

どうも、この一帯は、な〜んとなく知ってる場所なんだよねぇ・・・。
もう一つ元三大師堂と、地蔵堂があるんだけど、なんか変!!
大黒堂は、な〜んとなく違うし・・・地蔵堂も何となく違う・・・。
でも、その釣鐘堂と元三大師堂は、な〜んか記憶にあるんだ〜。なんなんだろうね〜。
で、この大黒堂には三面大黒天がお祀りされています。

元三大師堂 地蔵堂

地蔵堂は、ちょっと四天王寺らしくない「気」の種類でした。
そうだねぇ・・・この辺りらしくなく、もっとローカルな感じかな(^_-)
あぁ、でも住吉さんの奥の感じにも似てたか・・・。庶民的な信仰の場なんだね(*^_^*)

この辺りで、そろそろ祐気取りの時間切れかと思ったら、もう少し残っていたので、もう一度金堂へ。なにかお祭りが始まると言うことだったのですが、金堂の中は満員で暑いし、やっぱり信者さんみたいな方ばかりで、其処にいるのが気が引けてしまったから、東重門から出た。
すると!其処には、ナント可愛い「猫の門」♪

猫の門です・・・でもなんで猫の門なんやろ? 太子殿(聖霊院) 前殿から奥殿

太子殿は、昭和20年に伽藍と共に戦火で焼失して昭和29年に前殿が再建されたらしい。その後昭和54年に奥殿と猫の門、虎の門、経堂、絵堂が完成したとか。
奥殿の下には、万体仏六世観音菩薩が沢山並んで祀られていました。
こちらのご本尊は、前殿聖徳太子十六歳孝養像で、奥殿は聖徳太子四十九歳摂政像。
奥殿は六角で、夢殿をイメージしたのかな?
この中で、眠ったら、未来が見通せたりして!!


今回な〜んとなく・・・と言うかぁ・・・早起きできなくて南の簡単祐気取りで四天王寺へ行ったのですが、この9日後の祐気取りの時に本屋さんで見つけた本、「先代旧事本紀」を編纂したと言われているのがやっぱり聖徳太子・・・。
その上、その「先代旧事本紀」の原本と言うのが、四天王寺と伊勢の伊雑宮、それと大神神社に埋められ、隠されていると言うことが書いてあって、ちょっとした偶然の一致にびっくり!!
でも、これも偶然じゃないのかも知れないねぇ・・・( ・_;)( ;_;)( ;_;)(>0<)

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