龍 12 熊野 (T)
 朝目覚めて隣を見る。いつものようにエディは居ない。
 寝起きでふらつきながらリビングに続く扉を開けると彼は朝日を浴びて舞っていた。私は壁にもたれてそれを見る。
 一段落したところで彼が私の傍に来て言う。「おはよう。夕べは素晴らしかったよ」
 私は赤くなる。そして知らんふりして言う。「今日は何時に出るの?」
 「君の用意が出来たらさ」
 私は頷いてベッドルームに戻り、シャワーを浴びて用意をした。簡単に化粧をし、荷物を作る。それを持ってリビングに出ると、彼は読んでいた新聞をテーブルに置いて立ち上がると私の荷物を取り、部屋を出た。

 レストランで食事を済ませロビーに出ると、アルンが待っていた。
 「おはよう」アルンが言う。
 「おはよう。夕べは無事に送り届けてくれたかい?」エディが尋ねる。アルンが頷く。
 「どうもありがとう」私が言った。
 「たいした事じゃ無い」アルンが答える。彼はいつものようには微笑まなかった。

 私達は玄関に止めてある車に乗り込む。
 「アルン。いつもの車と違うのね」エディが振り向いてそれに答えた。
 「この車の方が安全だからね」
 いつものメルセデスと違って、いかつい感じの車だった。
 「そんなに大変なことになっているの?」
 アルンは答えない。
 代わりにエディが答えた。「きっとアルンの得意な状況なんだよ。任せておけば大丈夫」
 私は頷いて言う。「007より強いんですものね」
 アルンは黙って頷くと車を発進させた。いつものように玄関にホテルの人達が並んで見送ってくれた。

 私達の車は高野山へ行った時と同じ道を走る。
 「ねえ、高野山からそのまま熊野へ抜ければ早かったんじゃない?」
 それに対してエディが答える。「そうしたら君は透に会えなかったんだよ」
 「そうね。でも今日は信貴山に寄り道したりしないんでしょう?」
 「ヨーコ!」エディが振り向いて私をたしなめる。私は首をすくめて舌を出した。彼はそんな私を見て微笑んだ。
 私は言う。「ねえアルン。尋ねてもいい?」
 アルンが答える。「何だい?」
 「今私達は何人の人に守られているの?」
 彼が前を向いたまま答える。「僕を除いて百人だよ」
 「敵はどの位いるのかしら?」
 「四十人位じゃないかな」
 エディが言う。「ヨーコ、君は何も考えないで」
 私は頷いて眠る事にした。
 しばらく私はシートにもたれて眠った。その眠りは、突然危機感を伴った衝撃とともに破られた。山の間を縫うように走る高速道路上だった。
 アルンはハザードランプを点滅させて、静かに車を路肩に寄せて止める。
 「どうしたの?」
 アルンは電話でどこかに指示を出しているようだった。英語なので私には判らない。
 エディが首をすくめて言う。「どこかから狙撃されたみたいだ」
 「大丈夫なの?」
 「はい」エディは振り向き、そう言って、私を安心させるように微笑んで見せた。
 私は何も考えずに指輪を回し、龍を解き放つ。本当に何も考えていなかった。ただ、眠くなったから寝る、そんな感じで、当たり前のことの様に龍を解き放っていた。
 エディはそれに驚いてドアを開けて後ろの席へ回ろうとする。
 「NO!」アルンが叫んでそれを止める。エディはドアを開けるのを諦めシートを乗り越えて後ろの席へ来る。
 その時すでに私は、訳も判らずにありったけの力を集中させ、それを解き放っていた。何かが弾け、私の中に拡がって行った。それは想いの波動だった。それを集め、高野山で阿闍梨達が結界を張った時のように、空間に向かって放射した。その時私は宇宙の真理を思い出していた。何もかもがただのエネルギーでしかない。人も、岩も、自然にあるものも、人の作った様々なものも。そして、そのエネルギーは人の想いに感応する。神とは意志を持ったエネルギー。
 「傷つけないで。傷つけ合わないで。愛し合って。育んで。思い出して。誰もが一つなのよ。孤独に押し潰されないで。私はここにいる。あなたはそこにいる。そして私達は同じところにいる。恐れないで。恐怖のエネルギーはあらゆるものを奪い傷つける。だからもう何も恐れないで。私はここにいるの。あなたと同じところに」
 それはちゃんとした言葉にはなっていなかったかもしれない。ただ私は誰も戦うべきではないと思っていた。私とエディが繋がっているように、すべてのものもまた繋がっている。その繋がりを見失わせているのが恐怖であるということを私は理解した。その恐怖の正体が孤独であることも。孤独など存在しないということをみんなに伝えたかった。同じものから作られたすべてのものが、孤独であるはずなど無いのだ。私のそんな思いがエネルギーとなって放射されていた。その思いが、敵である人間と、味方である人間のすべてに届いたことを理解していた。私の意識と体は龍のエネルギーの強さに圧倒されていた。龍は私が理解したことを喜ぶように、大きなエネルギーの流れとなって、私を通り抜け、愛の波動を放射していた。私の心と体の限界迄それは続いた。龍の通り道と化した私の体をエディが抱きしめていた。彼の温もりを感じる事が、唯一自分が肉体を持って生きているということを教えてくれていた。

 私はその後エディの腕の中で安らいだ。彼は私の髪を撫でながら遠くを見ていた。
 「エディ」私がそうつぶやくと、彼は私の顔にかかった髪を払いのけて言う。
 「大丈夫だよ。何でもない。心配いらないから。少し休めば元気になるよ」
 私は首を動かしてアルンに言う。「アルン。車は走れるのかしら?」
 「大丈夫だよ。何ともない。その為にこの車を選んだんだ」
 私は頷いて言う。「だったら行って。誰かが私を待っているの」
 エディの私を抱く腕に力がこもった。
 私が言う。「エディ、苦しいわ」彼が笑って腕を解いた。
 「ゴメン。しっかり捕まえていないとヨーコが僕の手から逃げてしまいそうな気がしたんだ」
 「私はいったい何をしちゃったのかしら?」
 「君は立派な龍になった。それだけさ。ただ君の身体と精神はまだそれに耐えられるだけの強さを身に付けていないんだ。だから少し休みなさい。そうすればまた元に戻る」
 私は彼の言葉を聞いて、目を閉じた。彼はずっと私の髪を撫でていた。

 ほんの少しだけ眠った。目覚めた時、車はまだ高速道路を走っていた。
 私が言う。「ねえ、アルン。もう大丈夫かしら?」
 「完璧だよ。包囲は解かれている。でもまだみんな僕達に着いて来てはいるけれどね」
 「加藤さんが居るのよ。それにイワノフも。次のパーキングエリアに入ってくれない?」
 アルンがエディに尋ねる。「聖龍。いいのか?」
 エディが答える。「ヨーコの思い通りに」
 アルンが黙って頷いた。それから五分程でパーキングエリアに止まった。
 私はエディにの腕から抜け出して車を降りた。そしてまず加藤を感じる方へ歩いて行く。まだ体が借り物のような感じだったが、気持ちが私の体を支えていた。
 私達に続いてエリアに入って来た車から加藤が降りた。
 私は彼の方へ近付いて言う。「こんにちわ。モニクは元気かしら?」
 彼は微笑んで見せた。私は彼の手を取って言う。
 「どうもありがとう。あなたのおかげで私の龍が目覚めたのよ。私の龍はいかがだったかしら?」
 彼は首を横に振って言った。「素晴らしいよ。全く素晴らしい」
 私は言う。「まだ私の龍を研究材料にしたい?」
 彼は笑って言った。「いや、止めたよ。君の龍は、僕の思っていたものと余りにも違い過ぎる。龍があんなに暖かなものだなんて思ったこともなかったんだ。虐げられた者たちの怨念で凝り固まったような恐ろしい力だと思っていた。でも君の龍は全く違うものだ。君達の車が止まった後、君が傍に来たのを感じたよ。暖かかった。その暖かさに触れていると生まれて初めて自分の中に人が居るのに気付いたんだ。それが侵入者では無くって、初めからそこにいたのに今まで自分が気付かなかっただけだって言うことも判った。神と呼ぶべきなのだろうか?良く判らないけど、何だか今までこだわっていたことすべてが馬鹿らしくなってしまったよ」
 私は微笑んで見せた。振り向くとエディが私の後ろで笑っていた。
 「加藤。僕の妻は素晴らしいだろう?」
 加藤が答える。「ああ。とても素晴らしい。それにパリで会った時よりも一段と美しくなっている。今のヨーコには人を越えた美しさがあるよ。そしてその美しさは人に感動をもたらす。神の力なのか?」
 エディが答える。「龍の力だ。そして龍の力は愛の力だ。ヨーコは龍を越えた。龍人族以外の者にまで、姿を見せる事が出来る。そして心を伝える事もね。それは愛の力以外では有り得ない」
 エディと加藤が話している間に私はイワノフの心を感じた。
 私はイワノフに向かって駆けだす。イワノフは大きく腕を開いて私を迎えてくれた。私はその腕の中に飛び込む。
 彼は私を抱え上げて言う。「ヨーコ。素晴らしかったよ」
 私は彼の頬に口付けして言う。「ありがとう。あなたのお陰で私達随分助かったのよ」
 「何もしていないさ」そう言って私を下ろしてくれた。
 「ねえ、私いったい何をしたのかしら?」
 「僕達をとてもいい気持ちにしてくれたんだよ」
 私は首を横に振る。
 「自分では何も判らないのよ。ただもう人が傷つけ合ったりするのが堪らなかったの。そして敵が増えれば味方も増える。そして、戦う必要なんてどこにも無いのに、どんどん戦いが大きくなっていく。そんな馬鹿げた事が耐えられなかった。それだけだったの」
 彼は私の頬に触れて言う。「もう誰も傷つけ合ったりしないさ。誰もが君を愛しているよ。僕が保証して上げる。だからもう君は悲しんだりする事は無いんだよ」
 私は頷いて言った。「ありがとう。本当にありがとう」
 彼は大きく首を振って言う。「礼を言うのは僕達の方さ。君の愛を感じなければ、このまま君達を狙い続けてきっと誰かが傷ついていた。君を守っている人達は、世界一素晴らしいソルジャーだ」
 私は振り向いてアルンを見つけて言う。「彼が隊長よ」
 「ああ、知ってるよ」彼は笑って見せた。
 その後私は三井寺で私を捕まえようとしたCIAの男を見つけた。私は彼に恐る恐る近付いて言う。「この前はごめんなさいね。アルンって乱暴だから」
 彼は微笑んで言った。「大丈夫です。あなたは気にしないで。それよりあなたは神だったんですね。とてもハッピーな気持ちになりました」
 私は慌てて否定する。「とんでもないわ。神はあなたの中にいるのよ。私はただあなたの心をノックしただけ。あなたが今ハッピーなのは、あなたの神があなたの中から出てきてくれたからだわ」彼は大きく頷いた。私が続ける。
 「まだ私を捕まえないといけないのかしら?」彼が黙ってうつ向いた。
 「ねえ、こうしたらどうかしら。ずっと私達に着いて来ればいいのよ。私はそんなに長く生きていられないと思うから、そんなに長い間じゃないわ。死んでしまえば国の人達に報告もしやすいでしょう?だからそれまで仲良くやりましょうよ」
 彼が顔を上げて言う。「いや、僕は君に生きていて欲しい。国が何か言ったら僕はもうこの仕事を辞めても構わない。仕事を失っても、国を裏切ることになっても構わない。あなたに生きていて欲しい」
 私は首を横に振る。「それは無理よ。だからあなたは私の為に何かを失ったりするべきじゃないわ。さっき言ったようにしばらくそのままでいてちょうだい。観光気分でいればいいのよ」
 彼が言う。「国の連中だって君のパワーに触れれば判るさ。僕達が君を捕まえたところで何も出来はしないって言う事がね」
 「だったらいいわね。でもそれってとっても大変なことかも知れないわ」
 彼が頷く。「確かにそうだ。やっぱり僕は君が言ったように君達について行くよ。僕は君から離れたくないからね」
 私は彼の頬に口付けした。
 気が付くと周りに沢山の人達が集まっていた。香港のホテルで私を連れ去ろうとした二人もいた。私は周りを見回してアルンを見つけ、尋ねる。
 「アルン。どの人が敵で、どの人が味方だったの?」
 アルンが答える。「ヨーコ、君の龍には敵はいないさ」
 エディが横から続ける。「少なくとも人間の敵はね」
 私はエディの手を手繰り寄せて、彼に身体を預けた。背中一杯にエディの暖かさが伝わってくる。私はそれを心地好く感じながら言う。
 「エディ、みんな付いて来たって平気よね。仲良く出来るわよね」
 「もちろんさ」そしてアルンに言う。「そう言う事だ。頼んだぞ」
 アルンはそれを快く引き受けてくれた。「任せて置いてくれ。戦うより、まとめる方が気楽だからな」アルンが笑っていた。

 車に戻ってエディが言う。「アルン、ヨーコの愛に触れて、抱きしめたいと思わない奴が居ると思うか?」
 アルンが弾むような声で言う。「思わないな。僕の思っていた愛が小さ過ぎたんだ。龍はとてつもなく大きな愛だったんだ。実を言うと僕は今イワノフにジェラシーを感じているところさ。それにヨーコを独り占めにしている聖龍、お前にもな」
 エディが笑いながら言う。「妬いたってだめさ。龍はみんなの物でも仕方ないけど、ヨーコは僕一人のものだからね」
 二人ともとても楽しそうだった。
 私は二人の声を聞きながら後ろの席で横になって眠った。エディの言うように、確かに私は疲れていた。その疲れ方はとても特殊で、心と体がバラバラになってしまいそうな感じだった。とにかく私の心と身体は眠りを必要としていた。

 次に目覚めた時、私達は休憩をかねて、海の見えるレストランで食事を取った。そしてまた走る。随分遠くまで来たみたいだ。
 「アルン、疲れたでしょう。運転、代わりましょうか?」
 アルンが答える。「ヨーコ、僕はまだ死にたくない。それにヨーコの運転する車に乗るぐらいなら、歩いて行った方が疲れないと思うな」
 エディが笑う。「じゃあ、僕が代わろうか?」
 「いや、お前の運転だとかわいい女の子の運転する車に付いて行ってしまうからな。いつまでたっても目的地に着けなくなってしまう。それに、これが今僕に出来る唯一の仕事なんだ。失業させないでくれ」
 私はエディを見て言う。「あなた前に日本に来てたのって、本当はガールハントする為だったんじゃないの?」
 エディがアルンに助けを求める。「アルン、お前が変な言い方をするからヨーコが怒っちゃったよ。何とか言ってくれよ」
 アルンが振り向いて言う。「自業自得って言うんじゃないの?」
 エディが困ったふりをした。私も彼に合わせて怒ったふりをする。そしてアルンは知らんふりを決め込んだ。
 私はエディの暖かさに包まれてまた眠った。しかしその眠りは私の奥深くの疲れにまでは届かなかった。

 次に目が覚めた時、車は海沿いを走っていた。私は身体を動かそうとしたが、思うようには行かなかった。それでまた目を閉じて眠りの中に潜り込んだ。
 その眠りの中で何かが私を呼んでいた。私の意識がそれを捕えると、それは呼ぶのを止める。そしてまた意識が眠りに入るとそれは私を呼んだ。それが何度か続いた後、私の意識と身体が突然目覚めて何かが私の声を使って叫んだ。「止めて!」
 アルンが驚いて車を路肩に寄せた。
 私は引き止めようとするエディの腕を擦り抜けて車を降りる。私を呼ぶ声は左手の山の方から聞こえていた。私はそれに引き寄せられるように木立の中を歩き始めた。
 「ヨーコ、行っちゃだめだ」エディが言う。
 私は立ち止まってエディに微笑む。「誰かが呼んでいるのよ」
 彼は私の両肩を押さえて言う。「今君は、疲れ過ぎている。危険だ。車に戻ろう。明日にしよう」彼は懇願するように言った。しかしその声は確かに私の耳に届いたにもかかわらず、私の頭に意味を運んでは来なかった。私は彼の手を払いのけて森に入った。鬱蒼と茂った木立が日の光を遮り、足元には枯れ葉がつもっている。
 彼が迫ってくる。しかし何故か彼は私に追い付けなかった。その時私には手足の感覚も、時間の感覚もなかった。気付いた時彼は私の後ろから息を切らせて付いて来ていた。
 「エディ、私どうしたのかしら」
 彼は顔を上げて私を見る。そして言った。「ヨーコ、どうして君はこんな道を平気で登れるんだ?」
 そう言われて彼の後ろを見るとそれは道とは呼べないようなところだった。
 彼は岩に手を掛けて最後の段を登り、私の傍まで来て言う。「ちょっと座ろう」
 私は周りを見回した。前方には幾つかの島が浮かぶ海が見えている。後ろには人が二人並んで通れるぐらいの洞窟がポッカリと口を開けていた。その前に座るのにちょうど良さそうな岩がある。それに二人で腰を下ろした。
 「ねえ、どうして私こんなところに居るの?」
 エディが両手で私の頬を挟むと、目をのぞき込む。
 「大丈夫みたいだ。いつものヨーコに戻ってる」
 私は目を閉じて考えた。「誰かが私をここまで案内してくれたみたいね。この洞窟に入れって言う事かしら?」
 「いや、例えそうだとしても今日は止めた方がいい。君は疲れ過ぎて居るんだ」
 私は首を振る。「でも何時かはしなくっちゃいけない事よ。それに私、明日だったらこんな山道もう登れないかも知れないわ」
 彼が首を振る。「構わないじゃないか。君はもう随分仕事をしたよ。だからもう止めよう。危険すぎる」
 私は彼の方を向いて言う。「エディ。あなたは聖龍よ。そして私は龍。その龍を誰かが求めているの。行かなくちゃ」私はそう言って立ち上がり、洞窟に飛び込むように入った。
 その途端に私の体は何かに引っ張られるようにすごい早さで奥に向かって移動する。歩いているのか、走っているのか、私には判らなかった。しかし確かに私の体は移動していた。そして一度その移動が止る。そこが洞窟の行き止まりだった。エディはまだ追い付けなかった。ふっと右を見るとそこには人が一人潜り抜けられるほどの穴があった。私はその穴を潜る。その中は四畳半位の広さがあった。天井のどこかから微かな光が指しているようだった。私はその光の中に座り込んで龍を解き放った。それに一瞬遅れてエディが入って来て叫ぶ。「ヨーコ、龍を解き放っちゃだめ!」
 しかしその時点で私の龍はすでに私の体から離れ、岩に囲まれた中を金色の光を放ちながら泳いでいた。エディが慌てて私の指輪を回して龍を収める。龍はすぐに収まった。
 「ヨーコ!ヨーコ!」彼が私を呼ぶ。しかしその声は私には届かなかった。



 私は真っ暗な中を移動していた。それが何処で、どんな所なのかも判らない。まるで大きな掃除機に吸い寄せられるように、私の心は一定の方向に向かって移動していた。移動しながら、自分が心だけの存在であることを理解していた。寂しかった。そして恐ろしくもあった。エディと出逢ってずっと忘れていた寂しさだった。私はエディを求めていた。それは彼が聖龍などでは無く私の夫であったからだ。私は一人で飛び続けていた。



 エディはヨーコの抜け殻を抱いて泣いていた。そしてそれを抱いて、洞窟の出口に向かって歩いていた。
 出口を出たところにアルンが待っていた。
 「聖龍。どうしたんだ。ヨーコは?」
 エディは力なく首を振ると言った。「一人で行ってしまったよ」
 アルンが恐る恐る尋ねる。「死んだのか?」
 「いや、命はある。しかし生きてはいない」
 「どう言う事なんだ?」
 「ヨーコの心だけが行っていまったんだ」
 アルンが冷静に尋ねる。「僕達に出来る事は?」
 エディが答える。「命を繋ぎ止めることが大切だ」
 アルンが少し考える。そして言う。「船を呼ぼう。確かあの船がもうすぐここの沖を通るはずだ」
 エディはヨーコの抜け殻を抱きしめて頷いた。
 アルンはすぐに電話で緊急事態を告げ、船の手配をする。そしてそれに伴う様々な指示を出した。エディはヨーコを抱いて車迄戻る。何度も足を滑らせながら、しかし彼の腕はヨーコを離さなかった。
 アルンは港へ車を向かわせた。港へ着くまでの間エディは一言も発しなかった。アルンは最後に医師に連絡を取った。香港から同じ船に乗って戻って来た沢村医師だった。

 港に着くとナーガラージャの船が着岸しようとしていた。着岸後乗客は事情を聞いて一様にうなだれて降りてくる。そしてアルンの手配した車で神戸へ向かう。何人かがアルンに声を掛ける。アルンは事情を丁寧に説明した。誰もが龍と聖龍のことを心配していた。しかしエディは誰とも口を聞こうとはしなかった。
 彼は乗船後すぐに自分の部屋に入り、初めて龍を目覚めさせたベッドにヨーコの抜け殻を横たえた。一時間半ほどで沢村医師を乗せたヘリコプターが沢山の医療器材と共に着いた。船員達が手分けしてそれを部屋に運ぶ。沢村医師は適格に指示を出す。そしてヨーコの横たわるベッドはすぐに病院のそれの様に成った。
 エディは沢村医師にヨーコを任せると初めて彼女を離れデッキに出た。そして辺りを見回し何かを探す。そしてそれが見付かると船長を呼んで言った。「あの島につけてくれ」
 それは少し離れたところ浮かぶなんの変哲もない島だった。
 アルンが慌ててエディを呼びに来た。「聖龍大変だ。ヨーコの血が不足しているらしい」
 エディは急いで船室に戻る。

 沢村医師が言う。「血液が急激に減少しています。輸血をしようと思うのですが、どの血液型のものを試しても受け入れてくれないのです。血液型は単純なRH+のO型なのですが。何かお心当たりはありませんか?」
 エディが頷いて言う。「僕のを調べてください。多分大丈夫だと思います」
 沢村医師はすぐに採血し、テストした。
 「聖龍様。大丈夫です。しかし聖龍様お一人では、足りないかと。後一人分は必要でしょう」
 「判りました。取り敢えず僕のを輸血してください」
 そう言って彼はアルンを呼んだ。そして部屋に入って来たばかりのアルンに言う。
 「ミツコに事情を話してすぐに来てもらってくれ。ヘリをやって今すぐにだ」
 アルンは頷くとすぐに部屋を出て行った。
 エディの血が細いチューブを通ってヨーコの腕に入って行く。それでもヨーコの顔は陶器のように白く、口紅で染めた唇だけが、椿の花のような鮮やかな色を見せていた。

 船はエディの指定した島に近付づけるだけ近付いて錨を下ろした。船員は皆一様に沈んだ顔をしながらも、心のより所にするように良く働いた。コックは医師と船員達の為に腕を振るう。後の者たちも、皆何も言わずに船内を磨き上げる。体を動かすことで悲しみを忘れようとするかのようだった。
 二時間程でミツコが着いた。アルンに連れられて船室に入る。アルンの開けたドアの向こうに、沢山のチューブを付けられ、全く動かないヨーコを見つけた。
 「ヨーコさん」ミツコはそれだけ言うと倒れそうになった。それをアルンが支えて椅子に座らせた。
 エディが言う。「ミツコ、血が必要なんだ。RH+のO型で、龍の血でなければならない」 
 ミツコは頷いて言う。「私の血液型がそうだわ。龍の血かどうかは判らないけど、役に立つのなら全部抜いちゃっても構わないから、ヨーコさんを助けて」
 エディが沢村医師に言う。「彼女の血を試してみてください」
 沢村医師は頷いて採血する。そしてすぐに結果は判った。「聖龍様、大丈夫です。これで二日ぐらいは持つと思います」
 エディが頷いて言う。「宜しくお願いします。それまでに必ず連れ戻します」
 沢村医師が頷いた。
 エディとミツコの血でヨーコと命はつなぎ止められた。しかし心は戻らない。外はもうとっくに日が落ちて、時折走る波頭だけが白く輝いていた。
 ミツコは別室で休む。長くて静かな夜の始まりだった。



 私の心は真っ暗な中を飛び続けていた。そしてとうとう止まった。そこが行き止まりの様だった。そこには寂しさと屈辱に耐える者が居た。しばらく私はじっとしていた。そうすることで心だけの存在で居る事に慣れ始めていた。私の心が落ち着くのを見計らうようにその者が話しかける。
 「何をしに来たのだ」
 私が答える。「あなたが私を呼んだんでしょう?」
 「私がお前を呼んだと言うのか?」
 「違うの?誰かに呼ばれてきたのよ」
 「私ではない」
 「でも誰か、とても寂しい思いをしている誰かが私をずっと呼んでいたの」
 「寂しい?それはどう言う事なんだ?」
 私は彼に言う。「ねえ、その前に教えてくれない?ここは何処で、あなたは誰なの?」
 彼が答える。「ネの国のスサ。私の名はフツシ」
 「スサノオじゃないの?」
 「スサの男、フツシだ」
 私は思う。スサノオって名前じゃ無かったんだ。
 フツシと名乗った男が言う。「寂しいとはいったい何だ?」
 私が言う。「あなた、誰かを求めていなかった?」
 フツシが答える。「私が求めたのは、ハハとナダヒメだ」
 「あなたはいつからここにいるの?」
 「もうずっと前からだ。いつのことかは判らない」
 「ここにはあなた一人なの?」
 「そうだ。ここには私だけしか居ない。ずっと昔から。ここに来たのはお前が初めてだ。ハハもナダヒメも私がいくら呼んでも来てはくれなかった」
 「それが寂しいって言う事よ」
 「寂しい・・・」彼がつぶやいた。そして言う。「お前はいったい誰なんだ。もっと側に。そして姿を見せてはくれないか?」
 私はどうすれば良いのか知らなかった。それよりも、心に姿があるのかどうかも判らなかった。しかし取り敢えず彼の側に行こうと思ってみた。するととても不思議な事にさっきより彼を近くに感じた。
 「私の名前はヨーコ。熊野の山で誰かに呼ばれ、ここに引き寄せられてしまったの」
 「クマノか・・・」
 彼がそれを口にした時、今の紀伊半島の熊野とは違うイメージが伝わってきた。クマノと言うのは、山の端の小さな平地を指す言葉のように感じられた。固有名詞と普通名詞の違いだ。古代において地名とは、固有名詞ではなく普通名詞だったのではないだろうか。ここへ来る前に読んだ神話に出てきた熊野や日向は、ただのクマノでありヒムカであったのではないだろうか。朝日に向かう土地としてのヒムカ・ヒュウガだ。しかしフツシにとってクマノは懐かしい特定の場所のように感じられた。きっと彼の国は山のそば小さく開けた場所にあったのだ。
 そのことは気にせずに私は続ける。
 「ええ、そうよ。夫と一緒だったの。でもいつの間にか一人でここに来ていたわ」
 「夫と一緒だったのか。それなのに一人でここに来た。かわいそうに」
 彼はとても優しい感情を見せた。私は彼の姿を見たいと思った。するとそれはすぐに叶えられた。心の世界では思うことがすべてのようだ。フツシはとてもたくましい肉体を見せた。色は浅黒く、そして長い髪と長い髭を持っていた。そして無器用に微笑むと言う。
 「ヨーコか?」
 「フツシね」彼が頷いた。
 私は彼に尋ねる。「あなたには私がどんなふうに見えているの?」
 彼が答える。「美しいヒメだ。しかし、いかにもひ弱で庇う者がなければ一日も生きてはおれないだろう」
 それが私の心の姿のようだ。フツシが私に触れようと手を延ばす。そして私の肩に触れた。
 「暖かい」彼が言った。
 私は彼の手を取って両手で包み込む。それはとても冷たい手だった。
 「あなたの手はとても冷たいわ」彼は悲しそうに微笑む。
 私は彼の側に寄って良く顔を見る。どこかがエディに似ていた。しかしそれがどこなのかは判らない。しかし何か根本的なものが共通しているように思えた。
 フツシが言う。「お前はナダヒメにもハハにも似ている」
 私が言う。「あなたは夫に似ているわ」彼が笑った。
 「そうかお前の夫に似ているか。それはいい」
 「でも、夫はもっと色が白くて、髭もないわ」
 彼は笑い続けながら言う。「ナダヒメもハハもお前よりはずっと強そうだった」
 私は思った。人は段々ひ弱になってきているのだろう。太古の人間は心がもっとしっかりと強かったに違いない。
 私が言う。「誰も居ないのね」
 彼は頷いて言う。「いつのまにか誰も居なくなった。私がこの国を治めていた時には沢山の人がここに暮らしていた。私がここの王だったのだ。そして龍を使って人々に沢山の恵みをあたえた。それで喜んだみんなが力を合わせてこの神殿を作った。その山のクマノにチチとハハが眠っている」そう言ってとても形の良い山を指差した。
 私は頷いてから自分の座っている周りに目をやった。そこは神殿の入口だった。そして後ろを振り向くと、そこには白木で作られた神殿が黄金色に輝いていた。私がそれを認識すると同時に木の香りがしてきた。心にも五感があるらしい。
 私が尋ねる。「ねえ、フツシ。あなた今、龍って言ったわね」
 彼が頷いて言う。「そうだ。私は沢山の龍を使っていた」
 私が言う。「ナダヒメに龍が居たの?」
 彼は怪訝そうな顔をして言う。「ナダヒメは人だ。人と龍は違う」
 私は頷いて思った。昔は人を必要としない龍が居たに違いない。いつの頃からか龍は人を必要とするように成ったのだろう。
 フツシが言う。「龍は私達に沢山の恵みを与えてくれた。私は龍が大好きだった。そして、龍も私と居ることを喜んでくれていた。しかし私も年を取り命を終えた。あの時、チチとハハはもうクマノへ行ってしまっていた。ナダヒメは、私を失うことを悲しんで泣いていた。それを見て私もとても悲しくなった。しかしもう私の命は終わろうとしていたんだ。そして何も見えなくなった。最後までナダヒメの泣く声が聞こえていた。それが聞こえなくなった時、私の命は終わった。あの時私はハハに会えると思っていた。少し待てばナダヒメも来ると。しかしここには誰もいなかった。そして誰も来ない。ここはクマノではなかったのだろうか?」
 フツシにとってクマノという言葉には、墓と言う意味もあるらしい。きっとクマノとは代々伝わる墓地であったのだろう。それで神話ではクマノが死の世界の入口だったのだ。
 私が尋ねる。「あなたは一度も生まれ変わらなかったの?」
 「生まれ変わる?」
 「そう。誰にも会いたくなかったのかしら?」
 「いや。ハハにもナダヒメにも会いたかった。そして龍にも。でも私はここにずっとこうして居るんだ。求めるものは何でも現れる。しかし心のあるものは来ない。人を見ようと求めれば、人も現れる。しかし、それには心が無い」
 「何でも現れるの?」
 彼は頷いて目を閉じると何かを祈った。すると埴輪で見るような古代の服を着た人が素焼きの器に一杯に盛られた桃を持って現れた。
 私はその人に声を掛けてみる。「こんにちわ」彼は何も聞こえないらしく、恭しく私達の前に桃の盛られた器を置くと帰って行った。
 「心が無いんだ」そう言って桃を一つ取り私にくれた。私はそれを受け取り皮を剥いでかぶりつく。口の中に一杯に甘い果汁が拡がった。フツシは皮の付いたままかぶりつく。そしてとても上手に種を残して食べ終えた。その種を少し離れたところへ投げ捨てる。私はふっとその種が芽吹くのかどうか気になった。
 「あの種から芽は出るのかしら?」
 フツシが頷いてから目を閉じて祈る。すると種の端から小さな芽が出た。それはするすると延びる。それと同時に根も出て地面に潜る。それはあっと言う間に花を咲かせ、葉を茂らせて、沢山の実を付けた。
 私はそれを見ながら尋ねる。「あなたはどの位ここに居るの?」
 フツシが答える。「判らない。ここには時と言うものが無い。私が望まなければ夜も来ない。この神殿が朽ちることもない。見ているがいい」そう言ってまた何かを祈る。すると枝一杯に成っていた桃の実がどんどん小さく生って葉だけになり、そして花になって木が小さくなり種に戻ってしまった。まるでビデオの逆回しのようだった。
 フツシが言う。「物の変化が無ければ時は無い」
 私は頷いた。そして尋ねる。「じゃあ、他の場所へは行けないの?」
 「知らない所を思い浮かべることなど出来ない」
 「ナダヒメやお母様を思い浮かべてもだめなのね」
 彼が頷く。「そうだ。知っている者は出てこない。心が無くても二人の姿でもあればと思い、随分祈ったがだめだった。知っている人は出て来ないのだ。良くは判らないがそう言うもののようだ」
 私も良くは判らなかったが、頷いた。
 フツシが言う。「なぜヨーコはここに来てしまったのだろう?」
 「どうしてでしょうね。でも私は誰かに呼ばれて来たのよ。ずっと誰かが私を呼んでいたの。それはとても寂しい心の声だったわ。でもあなたじゃなかったのね」
 「知らないものは思い浮かべられない。そして知っている者は出てこない。その上ここには心を持った者は来られないんだ」
 「どうして私はこんな所へ来てしまったのかしら。それもたった一人で」そう言って私は自分の手を見た。そして驚いた。指が六本有った。その上輪郭がぼやけて形があいまいだった。そしてエディにもらった大切な指輪が無い。私は座っている所に触れてみた。木の手触りがした。形はあいまいだが感覚はあるようだ。次に私は自分の顔に触れてみた。触れた手の感覚はあったが、触れられた顔の感覚があいまいだった。私は混乱していた。フツシが不思議そうにそんな私を見ていた。そして独り言のように言った。
 「ヨーコもここに住むのだろうか?」
 突然、津波のような悲しさが私を襲った。「嫌よ。私エディの所に戻りたいわ。こんな寂しいところなんて嫌」
 私はエディを思って泣いた。彼と出逢ってから一度も寂しくなんてなかった。いつも彼の優しさと強さに守られていた。しかし今の私には誰も居なかった。悲しくて悲しくて私はメソメソ泣き始めた。フツシがおろおろする。そして彼も声を上げて泣いた。私の方が驚いて彼をのぞき込む。
 「どうしたの?」
 彼が答えた。「ナダヒメもそうして泣いた」
 私は彼の涙を指で拭う。それはとても冷たい涙だった。
 彼も私の真似をして私の涙を拭って言う。「暖かい」



 エディとアルンがデッキの上で話していた。
 「聖龍。これからどうするんだ?」
 エディが答える。「僕が迎えに行かなければ彼女は戻れないだろう」
 「ヨーコの行ってしまった場所が入口なのか?」
 「いや、あの場所からは僕は行けない。僕はこの国の人間ではないから、海を隔てた入口からしか入れない。だからすぐにヨーコを追うことが出来なかったんだ。ほら、そこに見える島があるだろう。あの島に僕の入れる入口があるはずだ」
 「ヨーコのように心だけが行ってしまうのか?」
 「はい。お前にはこの体をこの船まで運んで欲しい」
 二人は冷たい風の中で話していた。しかし二人ともその冷たさを感じる余裕など無かった。
 アルンが尋ねる。「ヨーコはなぜあれ程の輸血の必要があったんだ?外傷も無いし、内出血しているようでもないのに」
 「あれは龍が求めるんだ。龍は今ヨーコの血で静まって居る。龍は血を求める。しかしそれは龍の血でなければならない。それ以外の血では龍の渇きはおさまらないだ。ヨーコの心有る時にはヨーコの愛で飢えることはない。しかし愛を与えられない龍には血が必要なんだ」
 アルンが尋ねる。「しばらくは聖龍と、ミツコの血で大丈夫なのか?」
 「はい。もしまたヨーコの血が足りなくなったら僕の血を抜いて輸血してくれ。そして僕には普通の血を輸血しておいてくれれば大丈夫だ。もうミツコの血はだめだ。彼女の方がまいってしまう。その為にもお前にこの体をこの船まで連れて帰ってもらいたいんだ」
 「判った。そうしよう。ところでヨーコは今何処に居るのか判っているのか?」
 「多分、ネの国だ」
 「ヨミの事か?」
 「多分。しかし行ってみなければ判らない」
 「危険はないのか?
 「判らない。しかしヨーコが居ないのに僕が生きていても仕方が無い。危険が有ろうが無かろうが関係ないさ」そう言って強張った頬で笑って見せた。アルンも泣きそうな顔で頷く。
 エディが言う。「ヨーコは今ごろ心細くて悲しんでいるだろう。彼女を悲しませてはいけなかったんだ。なのに僕は彼女を止められなかった。彼女は一人で行ってしまった。彼女は何時かしなければいけないんだと言って一人で行ってしまった」
 アルンが言う。「ヨーコの強さは何処から来るものなんだろう?」
 「アルン。ヨーコの強さは人の強さだよ。そしてその強さは優しさなんだ。人は誰でも持っているものさ。ヨーコだけが特別なんじゃない」アルンが頷く。
 「ボートを用意してくれ」エディがそう言うと、アルンは船室に入って行った。

 エディはミツコの部屋に立ち寄って言う。
 「ミツコ。忙しい時に無理を言って悪かったね」
 「構わないのよ。でもどうしてこんな事になっちゃったの?昨日はあんなに元気だったのに」
 「これが僕達の仕事なんだ」
 「尋ねても教えては貰えないわね」
 「今は時間が無いんだ。僕はヨーコを迎えに行かなくてはいけない。何時か話せる時もあるさ。とにかくありがう」
 「いいえ。お役に立てて嬉しかったわ」
 「本当にありがとう。後でアルンがすべて手配してくれると思うよ。だから安心してゆっくり休んで」
 「ええ。そうさせてもらうわ」
 「じゃあ、おやすみ」
 「おやすみなさい」
 エディとアルンの乗ったボートが島に着いた。
 エディはいつものブルーの光に包まれ、まるで夢遊病者のように歩く。アルンがその後を続く。エディの精神集中を乱さないように細心の注意を払って。
 エディは小さな川沿いに歩く。彼はどんな障害物も関係なくまるで宙を滑るように歩いた。しばらく行って、滝に出た。その前でエディは立ち止まり、振り返るとアルンに向かって言う。
 「ここが入口のようだ」
 アルンは無言で頷く。
 エディは滝に向かって何か呪文のようなものを唱えながら、その中に向かって走り込んだ。一瞬、水のカーテンが割れ、すぐに何事もなかったように元通りになる。アルンは足元に注意しながら滝の裏側に回る。エディの抜け殻がうずくまっていた。アルンはそれを軽々と担ぎ上げると来た道を戻った。そして船に戻りヨーコのとなりにもう一つの抜け殻を横たえる。沢村医師はエディの抜け殻にも点滴の処置を施す。そして二人の命は細い管につなぎ止められていた。