龍 11 神戸
私達はアルンの車で神戸へ戻った。神戸を出てまだそんなに経っていないのに、懐かしい感じがした。
私とエディは龍の間で寛いだ。壁に描かれている龍は初めに見た時よりもずっと親密な感じがした。
「ねえ、ミツコさんは何時頃来てくれるのかしら?」
「多分夕方だと思うよ。夕食を一緒にしようって言っておいたから」
「そう。じゃあ、まだ時間はあるわね」
彼が頷く。
「私泳ぎたいわ」
「いい考えだ」彼が言った。
「どうすれば泳げるかしら?」
「もちろんプールに行くべきだと思うよ」
「プールに行くって、大変なことかしら?」
エディは不思議そうな顔で言う。「あれっ。ここのプールは知らなかったっけ?」
私は首を振る。
「そうか、あれは船の上だったんだ。大丈夫だよ。此処にもちゃんとプールがある。僕も一緒に泳いでもいいかな?」
「もちろんよ。だってプールから戻れなくなると大変ですもの」
彼は笑った。
私は荷物を解いて水着を取り出す。
彼がそれを見て言った。「どうしてブルーにしたの?」
「だってブルーはあなたの光の色よ。ブルーの水着を着ているとあなたに抱かれているような感じがするのよ」
彼が笑って頷くと言った。「水着より僕の方が、上手に君を抱くと思うな」
「それは判らないわ。水着には水着の抱き方があるもの」
彼は声を立てて笑う。
「それはとても面白い意見だ。今度水着と腕比べをしてみなくちゃいけないね」
彼の手を取って言う。「早く泳ぎにいきましょうよ」
彼は私を抱き寄せて言う。「水着僕のどっちがいいか調べよう。まず僕からだ」
彼は腕を擦り抜けて言う。「あなたのは夕べので判っているわ。今度は水着の番よ」
「せっかちだな。僕の水着も持っていかなくっちゃ」
私達は半分だけ地下になったプールへ行った。
二人で並んでゆっくりと泳ぐ。初めはブレストで泳ぎ、次にクロールで泳いだ。何も考えずにただひたすら泳ぐ。そして最後にバックで何本か泳いでプールサイドに上がった。
二人でベンチに座りガラス越しの空を見上げる。
「とても平和な気分だわ。敵の存在なんて全然感じない」
「そうだね」彼が相槌を打った。
私が続ける。「仕事をしないと、何だか世間から取り残されて行きそうよ。あなたとドライブしたり、クルージングを楽しんだり、こうして泳いだりして遊んでばかりいると、本当に世の中から落ち零れちゃったみたいな気がするわ」
彼が頷いて言う。「そうだね。でも、このホテルを一歩出ると、外は大変な事に成って居るかも知れないよ」
「敵が増えているの?」
「はい。三井寺でちょっと有ったし、それに前と違って此処に居る事が皆に知られているからね。でも心配しないでいい。アルンに任せてあるんだから。あいつは超一流さ。あいつの部隊の人達もね」
私は頷く。
「どんなに大変なことになっていても、こんなに平和にみせてくれて居るんですものね。でも私、こんなに遊んでばかりでいいのかしら?」
「ヨーコ。君が泳ぎたいって思うからいけないんじゃないかな。泳ぎたいのは龍なんだ。君の仕事はその龍を健やかに育てることなんだから、龍を泳がせてあげてるって思えばいいんだよ。そうすれば君も立派に仕事してることになる」
「そう?そうね。そうすれば少し気が楽かも知れないわ。じゃあ、龍は買い物も好きかしら?」
エディが笑う。
「買い物に行きたいのかい?」
「そうじゃないけど。何となく、いつもあなたがとても楽しそうに買い物に付き合ってくれるのを思い出したのよ。それに今欲しいものが何もないのよ。こんな時には買い物なんて楽しくないわ」
彼が頷く。「また欲しいものが出てきたら言いなさい。きっと龍は買い物も好きだから」
私は笑って頷いた。
少し休んでからまた水に入って泳ぐ。私は快い疲れを感じるまで泳いだ。そして次に水から上がってエディに言う。「龍が泳ぐのを好きでよかったわ」
彼が笑顔で答えた。
私達は二時間程泳いで部屋に戻った。
バスルームには洗濯機が届いていた。私は水着と下着を洗濯機で洗った。私の唯一の日常的な仕事が洗濯になっていた。
洗濯機が動いている間に彼に尋ねる。「ねえ。お金持ちの奥さんって、いつも何をして過ごしているのかしら?」
彼が少し考えて答える。「そうだね。仕事を持っていなかったら、きっと何か趣味を持っているよ。ボランティアに参加したり、美しくなることに情熱を燃やしたり、後、パーティーの用意なんかもしているかな」
私は首を振って言う。「良く判らないわ」
彼が問う。「退屈なのかい?」
私は溜息をついて言う。「そうじゃないわ。でも私、お掃除も、お料理だって出来るのよ」
彼が言う。「今度、御馳走してもらうよ」
「御馳走じゃ無いと思うわ。普通の家庭料理よ」
「ヨーコが作るものだったら何だって食べるよ。お皿だって食べるかも知れない」
「あなた、もしかしておなかがすいているの?」
「はい。君を頭からムシャムシャ食べてしまいたいぐらいだ」
「レストランへ行きましょう。きっと此処のコックさんの作った物の方が、私の頭より美味しいと思うわ」
「きっとね」彼はそう言って立ち上がった。
私達はレストランで食事を取った。窓際の席で暖かな日差しを浴びながら食べる。
「小春日和ね。このホテルの中に居る限り、とっても幸せな気分よ」
彼も頷く。そして言う。「後で庭を散歩しよう」
「大丈夫なの?」
「もちろんさ。アルンが守ってくれている。このホテルの敷地内は完璧だよ」
私は頷いて食事を続けた。
食事を終えて庭に出てみた。手をつないで歩く。
「ねえ、どこかから私をライフルで狙っている人が居るんじゃないかしら?」
「君を狙って居る奴は居ない。だって君が死んでしまったら何も成らないからね」
私は驚いて立ち止まる。
「じゃあ、狙われているのはあなたなの?」
彼は微笑んで頷く。
「彼等にとって聖龍は邪魔者だからね。でも大丈夫だって言っただろう」
私は頷く。そしてまた歩きながら言う。
「あなたが何故私にピストルを渡したのかが、やっと判ったわ。もし、あなたが先に死んだ時には、あれで私に死ねって言う事だったのね」
彼はそれに答えなかった。
「狙われているのは僕だけじゃない。君の龍も狙われて居るんだ。だから気を付けて」そう言ってつないだ手を握りしめた。
私は言う。「一緒に行きましょうね」
彼が言う。「一緒に生きるんだ」
私は彼の肩にもたれて少しの間だけ目を閉じた。それにしてもとても穏やかな午後。まるでもうすぐ桜が咲きそうな陽気だった。
部屋に戻り、私は洗濯物を干した。彼はアルンとの打ち合わせの為に出て行った。私は洗濯物を干し終わり、ソファーに寝そべって神話の本を読む。前に読んだ所ももう一度読み返す。
この国の初めには三人の姿を持たない神様がいた。それは観念上の神だ。そして姿を持った神、イザナギとイザナミが現れて、この国を作った。
空の上から大きな鉾でドロドロとした海をかき回し、一番初めにその先から滴り落ちて固まったのがオノコロ島と言うらしい。それが淡路島、若しくはその近くの島のようだ。
そこに二人の神様が降りて、国土と沢山の神様を生んだ。それが国産み神話だ。
何だか男尊女卑の考え方を肯定するために作られたような神話があった。そして身体障害者を差別するような神話も。今考えると何故こんな馬鹿げた話を書き残したのか判らないが、きっとそうすることで、自分達の罪を神に置き変えたりしたのだろう。
それは、イザナギとイザナミが始めて出逢った時に、女神であるイザナミから先に声を掛けた為に、生まれた子供に障害があったと言うもので、その為にその子供を葦の船に乗せて流してしまったと言うものだった。その後もう一度出逢いからやり直し、ちゃんと男神であるイザナギから声を掛けて、沢山の子供を産んだらしい。そして最後に火の神を生んだ為に、女性器に火傷を負ってイザナミが死んでしまう。
最愛の妻を失ったイザナギは怒って生まれた子供を斬り殺してしまう。
なんてひどい父親なんだろう。そして妻を追って、長いトンネルをぬけて黄泉の国の入口まで行く。
そこで壁越しにイザナミに、「まだ二人で作ったこの国が出来上がっていないから、一緒に戻ってまた国を造ろう」と言う。
それに対して妻であるイザナミは、「来るのが遅すぎました。私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまった為にそちらへは戻れません。しかしせっかく迎えに来てくれたのですから、黄泉の国の大君に尋ねてみます。その間決して私の姿を見ないでください」と言って行ってしまった。
黄泉の国の食べ物を食べることをヨモツヘグイと言うらしい。変な名前だ。
その後イザナギは待ちくたびれたのか、好奇心に勝てなかったのか、してはいけないと言われたことをしてしまった。彼は妻の朽ち果てた姿を見てしまったのだ。
全身にウジがわき、八体もの雷が取り付いた妻の姿。イザナギはその姿に恐れをなして逃げ出してしまった。
イザナミはその事でとても恥ずかしめられたと思い、怒った。
いつの世も、何故人は大切な人との約束を守れないのだろう。
そしてイザナミは、逃げる夫を追い掛けた。そして夫であるイザナギはいろんな呪術を使いながら逃げる。最後には大きな岩で道を塞ぎ、妻に別れの言葉を告げる。しかし妻は怒って呪いの言葉を投げ付けた。
「あなたの罪の為にあなたの国の人々を、毎日千人づつ殺しましょう」
夫はそれに対して答える。「ならば私は、千五百人づつ人が生まれるようにしよう」
それで毎日五百人づつの人が増えるらしい。それにしても壮絶な夫婦げんかの話だ。
イザナギは本当に自分勝手な夫に思える。それが人間の姿なのだろうか。私にはイザナミの悔しい思いが判るような気がした。
そして黄泉の国から帰ったイザナギは日向の地で汚れを落とす為に禊ぎをした。
よく悪いことをした政治家が、禊選挙だとか言うのもここから来ているらしい。この国では、悪いことをしても禊、つまり水で洗い流すことできれいな体に戻れるらしい。
その後そこで三貴神が生まれる。アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神だ。
そう言えば黄泉の国の入口は出雲にあったのに、なぜ日向迄来て禊をしたのだろう。ある書では、その入口は熊野であるとも書かれているらしい。どちらにしても日向は余りにも遠いのでは無いだろうか。船の上で読んだ時にも、国譲りで出雲の大国主と談判したのにもかかわらず、ニニギの尊は日向に降り立っていた。
今の地名と違う所に同じ名前の場所があったのだろうか。それとも何か特別な移動方法があったのだろうか。
エディの言うように出雲と熊野が繋がっているとしたら、出雲と日向も繋がっているのかも知れない。
しかし何となく出雲と熊野は友好な関係で、出雲と日向は敵対関係のような気がする。
私は本のを伏せてそんな事を考えていた。そしてスサノオの神話に進もうとしたところで電話が鳴った。
電話はミツコからだった。ロビーから掛けているらしい。私はすぐに降りると言って電話を切った。そしてフロントに電話を繋ぎ、エディを探してもらう。彼はアルンと一緒にいた。このホテルの中にアルンの部隊の司令室があるらしい。私はエディにミツコが来た事を告げる。彼は少ししたら自分もロビーに行くと言って電話を切った。
ロビーに降りると、とてもチャーミングなピンクのワンピースを着たミツコがいた。私は彼女に手を振って合図をする。彼女は立ち上がって私を迎えてくれた。
「こんにちわ。本当に良く来てくれたわね。ありがとう」私が言った。
彼女は小さく首を振って微笑んでみせた。二人で向かい合ってソファーに座り、ボーイを呼んで彼女にはコーヒーをそして私にはミルクティーを持ってくるように言った。
私が言う。「忙しかったんじゃなければいいけど」
彼女が答える。「ちょうど良かったんです。今週はずっと忙しくって、やっと昨日で片付いた所だったから」
「ミツコさんはどんなお仕事をしているの?」
「アパレルメーカーでデザイナーをしています」
「あらそうなの。どこにお勤め?」
「Y社のUブランドです」
私は驚いて声を上げる。「まあ。じゃあ良ちゃんと一緒なの?高山良子さん」
ミツコも驚いて言う。「高山チーフを御存じなんですか?」
「ええ。良ちゃんがY社に移るまでずっと一緒に仕事をしていたのよ」
「もしかして、ヨーコさんってパタンナーの田中陽子さんですか?」
「知ってるの?良ちゃんのことだから、どうせひどいこと言ってたんでしょう。気の強いパタンナーで困ったとか」
「いえ、チーフはよく、ヨーコみたいなパタンナーがここにも居るといいんだけどって言ってます。いつもトアルチェックの時にそんなふうにこぼすんです」
「まあ。良ちゃんったら。彼女とは良く喧嘩したのよ。彼女は絶対譲らないものね。でも巧く形に出来た時には本当に嬉しそうにしていたわ。それに作っていてやりがいもあったのよ。彼女は洋服に対して知識も情熱もあった。もちろんセンスもね。私はいつも彼女の頭の中を覗こうとしていたの。それを形にする為にね。とてもいいデザイナーだったわ」
ミツコが頷く。そして言った。「そうですか。あの田中陽子さんだったんですか」
彼女はそう言うと運ばれてきたコーヒーを飲んだ。私も紅茶にお砂糖とミルクを入れてかき回す。彼女がカップを置いて言う。
「ヨーコさんって、ちゃんと仕事をなさってたんですね」
私は紅茶を一口飲んで言う。「どんなふうに見えてたのかしら?」
彼女はとても真面目な感じでそれに答えた。「龍の事があったので、もっと全然別の世界の人かと思っていました。生活感のない、お嬢様とか、奥様とかって呼ばれるタイプの人かと」
私は笑って言う。「まあ、それは困ったわね。パリでエディに会うまではほんとうにどこにでも居るバツイチのおばさんだったのよ。龍のことなんて全く知らずにいたし、自分の生活は自分で守っていたの。もちろん結婚していた時もそうだったけど。一人になってからはもっとそうよね。誰にも頼れないんですもの。でも私には仕事があったし、食べるのに苦労することはなかったけど」
「離婚なさってたんですか」
「ええ、そうよ。それであんまりくたびれてしまって一人でパリに行ったのよ。そこでこんなことになっちゃったの。でも、今でも私は普通の人よ。龍を除けばね」
ミツコの顔がほんの少し曇った。
「ごめんなさい。龍の話は不愉快かしら?」
彼女が答える。「いいえ。そうじゃないんです。ただ普通の人だったヨーコさんが、龍を背負っているのを知って辛かっただろうなって思っちゃったんです」
「ミツコさんは判ってくれるのね。嬉しいわ。本当にそうなのよ。私はエディに出逢わなければ、完璧にただのオバサンで居られたのよ。確かにこんなに贅沢な暮らしは出来なかったかも知れないけれど、でも自由気ままに生きていたわ。
それに私ってお金持ちに憧れたこともないのよ。そんなに貧乏でなければいいって思っていたし、自分で働いてたからその分で充分だったの。
なのに突然大金持ちの奥さんよ。それも普通の奥さんじゃ無いのよ。何だか良くは判らないけど神様みたいなものらしいわ。
何もかもが特別で、その上エディは非の打ち所も無い程私を愛してくれる。こんな言い方でごめんなさいね」
彼女は首を横に振る。私は続ける。
「私、いつも思ってたの。特別なんて大嫌いだってね。何度もそう叫び出しそうだったのよ。でも、あなたにこんな事言っちゃいけないのかもしれないけど、エディが、彼が本当に私を求めてくれたから・・・やっと少し慣れてきたところなの」
彼女が言う。「構わないんですよ。私、もう判ったんです。彼は私のものじゃ無いってこと。それにあなたがあの田中陽子さんだって判って本当に良かった。きっとあなたは一生懸命生きて来たんですね。だからエディと出逢ったんだわ。なのに私ったら・・・この前は本当にご免なさい」
私は慌てて言う。「あなたが謝ることなんて何もないのよ。いけないのは全部エディだわ」
「そう、いけないのは全部僕です」
突然ミツコの後ろからエディが言った。ミツコが驚く。
私は笑って言う。「そう、全部あなたのせい」
ミツコが笑っていた。
エディが言う。「ミツコ 良く来てくれたね」
ミツコがとても素敵に微笑んでみせた。
エディが私に言う。「随分、話が弾んでたみたいだね。僕の悪口を言ってたんだろう」
私は答える。「もちろん。でもあなたの悪口はこれからしようと思ってたところだわ。それより私とミツコさんに共通の友人が居ることが判ったの。すごいと思わない?」
「僕以外でかい?」
「そう。私の仕事仲間だった人よ」
エディがミツコの方を向いて言う。「えっと、ミツコはデザイナーに成れたのかな?」
ミツコが頷いて言う。「ええ。ちゃんと学校を卒業して就職したのよ」
エディが頷く。「それでヨーコがパタンナーだったから、そうか同じ仕事っだったんだ」
「私が一緒に仕事していた高山良子さんって言う人が会社を変わってミツコさんの居る会社に移ったのよ。とても良いデザイナーだったのよ」
エディは私に頷いてからミツコに言った。「その人、ヨーコのこと扱いにくくって頼りないパタンナーだったって言ってなかった?」
私が言う。「その話はもうすんだのよ」
ミツコがエディに答える。「とっても良いパタンナーだったっていつも誉めてるわ」
エディが言う。「そうか。ちゃんと仕事してたんだ。船の上で迷子になっちゃうぐらいだから、たいして役に立って無かったんだろうって思ってたよ」
私が言う。「あら失礼ね。ちゃんと仕事してたって言ったでしょう。誰にも迷惑を掛けないで暮らしてたのよ。迷子の件は、私の専門外なのよ。あんな大きな船に乗るようなことなんてそれまでには無かったの」
ミツコはそんな私達を見ながら笑っていた。
私はエディに言う。「あなた、もう用は済んだの?」
「いや、まだだ、アルンを待たせてある」
「じゃあ、もう行って」
「邪魔なのかな?」
「ええそうよ。あなたが居ると悪口が言えないわ」
彼は両手を上げて肩をすくめてみせた。そしてミツコに言う。
「じゃあごゆっくり」そう言って出口の方に向かって行った。
「エディ。夕食はどうするの?」私が後ろから尋ねる。
彼は振り返って言う。「僕達の部屋で食事しよう。用意が出来たら迎えに来るからここで待ってて」そう言ってロビーを出て行こうとする。
「アルンも一緒にね!」私が叫ぶ。
彼は手を上げて答えた。
ミツコと私はまた二人でいろんな話をした。仕事の話や、おしゃれの話し、久しぶりのおしゃべりだった。エディと出逢う前には当たり前だった女同志の会話。ミツコはここに来る前にリサーチをして来たと言って、簡単なスケッチを見せてくれた。私はそのスケッチをのぞき込みながらパターンの型を考える。そしてそれを彼女の絵の横に描き込んだ。彼女はそれを見て感心する。
「すごいですね。なるほどこうなってるんだ」
私は笑う。「長くやってたらこのぐらいは判るものなのよ」
「でも私には判らないわ」
「だってあなたデザイナーじゃないの。これはパタンナーが判ればいいのよ」
彼女は頷いた。
「やっぱりチーフの言ったとおりだわ。ちゃんとしたパタンナーが居て、始めて良いデザインの服が出来るんですね。いつもチーフが言うんです。ミッチャン、デザイナーはパターンが全く判らないのもだめだけど、判り過ぎてもダメなのよ。判り過ぎると新しい発想が出来なくなっちゃうからね。だから良いパタンナーとコンビを組むべきなのよって」
「ミッチャンって言うんだ。私もそう呼んでいいかしら?」
彼女は微笑んで頷く。
「ミッチャンに会えてとても気持ちが楽になったわ。今日来てくれて本当にありがとう」
「私こそ、呼んでいただいて嬉かったです。でも本当は少し怖かったかも知れない」
「何が怖かったのかしら?」
「あなたとエディに会って、もっと辛くなるかも知れないって。でも私、負けるのが嫌いなんです」
「何に負けるって思ったの?」
「自分自身に。そして現実から逃げたくなかった。あなたとエディが愛し合っていて、そこに私が入り込む余地なんて無いって言う現実。だって彼の中にはヨーコさんしか居ないんですもの。そして彼の中のヨーコさんは、実在しようとしまいと関係ないんだわ。
私、あの時彼の中にヨーコと言う女性がしっかり居るのを感じたんです。たとえあなたがこの前に言ってくれた様に彼を譲ってくれたところで、私は彼の中のヨーコさんにはかなわないって・・・。それを知るのが少し怖かった。
でも、私も今まで彼を思い続けてきたから判るんです。だから現実をちゃんと見つめようと思って、思い切ってきたんです」
「それで目的は達成されたのかしら?
「ええ。もちろん」
私は言う。「素晴らしいわ。ミッチャンは愛の本質を見抜いたのよ」
彼女は首を傾げて私を見る。
私は微笑んで彼女に言う。「ミッチャン。エディが来るわよ」
彼女が振り返る。「判るんですか?」
「もちろんよ」そう言うとすぐに彼がロビーに入って来た。
「ほんとだわ。とっても不思議」
私は立ち上がって彼女に言う。「不思議なんて、幾らでもあるのよ。今こうして此処に居る事が一番不思議かも知れないわよ。さあ、用意が出来たって。行きましょう」
彼女はバッグにスケッチブックを入れて立ち上がった。
エディはとても素敵に微笑んでこっちに向かって歩いてくる。私達も彼に向かって歩く。そして途中で合流してエレベーターに向かった。
エディが言う。「ヨーコ。とっても楽しそうだね」
私は答える。「ええ、とても楽しいわ。ミッチャンってとても頭が良くって、話し上手なの。それにとってもエレガント」
エディが言う。「ミツコ。来てくれて本当にありがとう。今日の洋服、とても素敵だ。ピンクがとても良く似合ってるよ」
ミツコが微笑んで頷き言う。「どうもありがとう」
私達はエレベーターに乗って部屋に向かった。
部屋のドアを入ると、食事の用意が出来ていた。アルンはもう席に着いていた。そして私達を席を立ち、出迎えてくれた。
部屋に入ってミツコがつぶやいた。「龍の間だわ」
私は彼女の手を取って握り締めた。彼女は顔を上げて私に微笑みかける。私も微笑み返した。エディとアルンが椅子を引いて待っていた。
「ミッチャン、行きましょう」彼女は頷いて歩き始めた。
「アルン、覚えてるわよね。伊達光子さんよ」
私はもう一度アルンに紹介した。そしてミツコにも「私達を守ってくれているエディの従兄弟のアルンよ」と紹介した。そしてテーブルに着いた。
私達はアペリティフで乾杯をし、エディの用意したチャイニーズ料理を食べ始めた。他愛のない会話でアルンとミツコの緊張の和らぐのを待った。食事が終わりに近付いた頃には、二人の緊張も解け、お互いを少し意識し始めていた。
皆がおなか一杯になったところでミツコが言った。
「あなた達が、どんなふうに出逢ったのか、話していただけませんか?」
アルンが言う。「そうだ、ちゃんと僕にも判るように話してくれよ」
エディが笑いながら私を見て言う。「僕が話した方がいいのかな?」私は頷いてナフキンをテーブルに置き、ミツコに断って煙草に火を付けた。
エディが言う。「ヨーコ、間違ってたら訂正してよね」私はもう一度頷く。
彼は話し始めた。パリのモンマルトルのホテルで出逢い、偶然を装って一緒に食事をし、ロアールに誘った事。
アルンが質問する。「ヨーコは何故、初めて会った男について行ったりしたの?」
私が答える。「判らないわ。成り行きだったの。それに私、心がとても疲れていて、危険に対してとても鈍感だったのかも知れない」
エディが言う。「でもヨーコはあの時、いろんな意味で危険だから嫌だっていったんだよ。でも僕がむりやりに誘ったんだ。ヨーコに考える暇を与えないように、何が何でもロアールへ連れて行こうと思っていたからね。だってどうしてもヨーコの龍を確かめたかったし、何か引かれるものがあったんだ」
アルンがよく判らないと言う顔をしていた。
私はアルンに言う。「恋ってそんなものかも知れないわよ。きっと普通の状況では恋に落ちたりしないものなのよ」
エディが続ける。次の日にロアールへ行って古城の入口で私が気を失って倒れてしまった事と、その為に一泊することになってしまった事。
私が尋ねる。「ねえ、エディ。私、どうしてあんな所で霊に乗り移られたりしたのかしら?それまで一度もあんなこと無かったのよ。それにあのお城だって前に行った事があったし、その時には全然何ともなかったのに」
エディが微笑んで答える。「僕と居たからだよ。つまり君のテレビに電源が繋がったんだ。龍が龍使いと居るって言う事はそう言う事なんだ。例え未だ目覚めていない龍であっても、何らかの影響があるものさ」
「じゃあ、あれは偶然じゃなかたのね」
彼は頷く。「そうだよ。なるべくして成ったんだ。でも僕も余りにも思い通りに事が運ぶんで驚いたけれどね。そしてあの後君は僕の光を見たんだ。それで完璧さ。その時点で君をロアールに誘った目的は達成された。君の龍は、紛れもなく僕の使うべき龍だった」
アルンが言う。「聖龍はその時点まで、ヨーコを愛していなかったのか?」
エディが笑って答える。「アルン、お前なら嫌いな女とドライブが出来るか?仕事じゃなくてだぞ」
アルンが否定の意味を込めて首を振る。
「だろう。でもまだ愛と呼べる段階であったかどうかは判らない。愛の極く初期だったんだ。だから僕は祖父に電話で尋ねた。ヨーコの龍は紛れもなく僕の使うべき龍だ、どうしようってね」
アルンが言う。「大龍はなんて言った?」
エディがあっさりと答える。「愛だと」
アルンは黙り込む。エディも次を続けようとしなかった。ミツコはそんな二人を交互に見ていた。
私が言う。「私も驚いたのよ。だってまるで雲を掴むような話しですもの」
エディがそれに促されて言う。「でも僕にはその意味がすぐに判った」
アルンの目がその先を促す。エディが続ける。
「僕はヨーコとの前世の因縁を思い出したからね」
アルンが言う。「ヨーコを殺した時のことか?」
エディは首を振って言う。「違う、その前のことだ」そしてフォンと龍山の話をした。
それを聞いて、アルンが言う。「ヨーコは何時それを知ったんだ?」
私は答える。「ロアールからパリへ戻る車の中で彼からその話を聞かされたわ。その時断片的にだけれど思い出したのよ。でもちゃんと思い出したのはパリに戻った後だった」
私は一度言葉を切ってワインで咽を湿らせて続けた。
「そう、私パリへ戻る車の中で彼に言ったの。出逢わなかったことにしましょうって。何だかとても危険なことだって思えたの。それにエディのお母様も心配しているって聞いたし、まだ彼を愛していなかったからかも知れないわ。
でも彼は、私がそう言ったらすごい顔で怒ったの。先にも後にも彼の怒った顔が私に向けられたのはあの時だけだわ。そして言ったの。僕からまた逃げ出すのかって。そして前世の話しをしてくれたのよ。その時に私も彼の知らないことを思い出していた。因縁だったのね」
エディが言う。「僕はそんなに怖い顔をしていたかい?」
私は頷く。彼が続ける。「怖かったんだ。ヨーコを失う事が。もうあの時点で僕はヨーコを完全に、完璧に愛していた。ミツコもう止めようか?こんな話しつまらないだろう」
ミツコがうつ向いて首を横に振る。そして顔を上げて言った。
「いいえ。聞きたいわ。続けてちょうだい。確かに辛い話しだけど、私現実から逃げたくないの」
私は彼女の手を取った。それはとても冷たい手だった。
エディが続ける。「僕はあの時点ですべてを思い出していた。後はヨーコが思い出すのを待つだけだったんだ」
私はミツコの手を取ったまま言う。「そして私もちゃんと思い出したのよ」
アルンが言う。「それで結婚しようと思ったのかい?前世からの愛のために」
エディが言う。「アルン、それは違う。僕がヨーコを愛しているのは、前世のせいでも龍のせいでもない。ただのヨーコを愛しているんだ。なぜお前には判らないんだろう?僕が愛しているのは、ヨーコの魂であり、肉体であるんだ。ヨーコのすべてを僕は愛している」
アルンが言う。「そんなに簡単に人を愛せるものなのか?」
ミツコがそれに答えた。「アルンさん。愛ってそう言うものなのよ。突然やってきて、そしてそれがすべてになってしまうの」
アルンは驚いたような顔でミツコを見る。ミツコは悲しげに笑ってみせた。
私は心でエディに言った。『あなたがこんなにミツコを傷つけたのよ』
『でもミツコはとても強い』
私は驚いて声に出しそうになったのを押しとどめて心で言った。『馬鹿!どうして判らないの?彼女は必死の思いで自分の弱さと戦っているのよ。強い人はこんなに深く傷ついたりしないのよ。そしてこんない傷つけたのはあなたなのよ』
彼は少し目を臥せた。
『でも、仕方無かったんだ。だって僕は君を探していたんだから』
『だったらもっと細心の注意を払うべきだったのよ』
彼が頷いた。
エディはその後パリへ戻って、加藤に会った事を話す。そしてその加藤が今の敵に私の龍の事を告げたことなどを話した。
ミツコが言う。「ヨーコさんは、いつ彼と結婚しようと思ったんですか?」
私は少し考える。そしてゆっくり答えた。
「何時だったかしら?確かあれは香港に行ってからだと思うわ。香港へ向かう飛行機の中で彼は私を妻と呼んだの。でも私はずっとそれについて考えるのを後回しにしていたのよ。
あの飛行機の中でナーガラージャの事や龍の事なんかも聞いていたわ。そして香港に着いてから、彼のお母様やお爺様、お兄さんのアンディにも、とても優しくしてもらったの。でもそれと結婚はどうしても結びつかなかったのよ。
考えれば考えるほど判らなくなっちゃって、何だか頭が変になりそうだったわ。でもその時点で私は、彼と居ることで完全に寂しさから解放されていた。そして生まれて始めて他人によって充たされても居た。私はそれを愛だと思ったわ。でもそれは愛の一部よ。
彼に指輪をもらって、皆に紹介されて、それでもまだ私の中には彼との結婚に対する抵抗があったの。彼の妻であるって言う事は、どこに行ってもこの部屋みたいに豪華で、何をするにしても一流なのよ。私みたいに普通の中で暮らしてきた者にとっては、すべてが信じられなかったし、気にいらなかったわ。
つまり彼以外の、彼に付随するすべてのものが気に入らなかった。聖龍だとか、ナーガラージャだとか、香港の財閥だとか、そう言うものよね」
ミツコが私を見て頷いた。
私は彼女に微笑んで見せると続けた。「でも、今こうして此処にいるのは何故なのかしら?」
私はそうつぶやいて少し考えた。そしてまた話し始める。
「そうだわ。あの事があったからよ。そう、あれはお爺様のパーティーの後での事だわ。パーティーが終わった後で、私疲れてそのまま朝まで眠っちゃったのよ。そして次の朝彼に起こされて、彼が外で他の女の人と寝てきたのに気付いた時だわ」
アルンがエディの顔を見る。私はそのまま続けた。
「とっても不思議な事なんだけど、私ちっとも嫉妬心が沸かなかったのよ。私、前の夫の浮気で離婚してたのよ。絶対許せない事だと思うのに、なのに本当に不思議な事に何とも無かったのよ。私、彼の心の中を覗いてみたわ。そうしたら彼の心の中には、龍でも何でもなくってただの一人の女としての私が居たの。そして彼はそのただの私をいとおしんでいたわ。そして浮気に対して全く罪の意識も無くて、ただ私に対する優しさで満ちていたのよ。その時かしら。彼の妻に成ってもいいなって思ったのは」
アルンが言う。「良く判らないよ」
私はもう少し考えて言った。「そう、それはエディがただの男だったって言う事が判ったからかしら。ホッとしたのよ。彼が何をしても、私はそれに対して気をもんだりしなくていいって言う事が判ったからかも知れないわ。彼が浮気をしてきたことで、彼が聖龍なんかじゃなくて、ただの男なんだって言う事が判ったのよ。そしてそのただの男としての彼を受け入れられたのかも知れない。それからよ、彼の妻になりたいって思えるようになったのは」
アルンが今度はエディに問い詰める。「エディ、お前何でそんな事をしたんだ。したのは仕方ないとしても、なぜヨーコに知られた?」男の論理だった。
エディが澄ました顔で答える。「知られるのは、自然なことだったんだよ。だって僕達はもうほとんど精神的に繋がっていたからね。でもあの時点でまだ僕はヨーコを抱くことが出来なかった。そしてそれがいつになるかも判らなかったんだ。もし僕に欲望が満ちてきて、ヨーコの龍を目覚めさせるのを失敗したら取り返しがつかない。それに、察してくれよ。僕はずっと求め続けていたヨーコと一緒にいて、強く抱きしめることも出来なかったんだ。
思わず強く抱きしめるとヨーコの龍が動く。するとヨーコはそれを恐れて心を閉ざしてしまう。一度目覚めさせるのに失敗した龍は巧く使えないと言う事も知っていた。でも僕がちゃんと聖龍にならないと、ヨーコの龍は目覚めない。そして、巧く使えない目覚め方をさせてしまったら最愛のヨーコが確実に危険に晒されるんだ」
私は彼を見て言う。「あなた、そんなに欲求不満だったの?私ちっとも気づかなかったわ。私はただあなたに充たされて幸せだったのよ」
アルンが言う。「男と女って随分違うんだな」
ミツコが言う。「でもヨーコさんも辛かったでしょう」
私はミツコに微笑みを返す。アルンが不思議そうに私達を見ていた。
ミツコがアルンに向かって言う。「愛するものの望むものを与えられない苦しみって、貰えない苦しみより辛いかも知れないわ」
アルンが驚いたような顔をして、そして深く頷いた。
エディが言う。「アルン隊長。敵の心理より女性の心理の方が難しいかも知れないぞ」
私が言う。「ミッチャンはとっても人の気持ちが良く判るわ。とても頭がいいの、そして心が強い。その上とっても優しくて、繊細だわ。でも、とても弱い部分を隠して持っているのよ。誰かにその部分を支えて貰えるといいわね」
ミツコが首を振って言う。「ヨーコさん。私一人で生きていこうと思うの。自分でちゃんと働いて、自分の力で生きようと思うんです」
それに対して私は言った。「ミッチャン。確かにそれは素晴らしいことだわ。でも意地を張らないでね。自分の足らない部分を誰かに充たされるってとっても素敵な事よ。そして誰かを充たして上げられるって言う事もね。
良ちゃんが言ってたでしょう。素敵なパタンナーを見つけたらいいって。それと一緒なの。
何でも自分でやってしまったら、自分の力だけしか使えないわ。愛し合うってそう言う事だと思うの。それはお互いの力をお互いが使えるって言う事よ。お互いに求め合って与え合う。そうする為に人は居るのよ。
愛し合うことと、傷つけ合うことは同じだわ。そして求め合うことも、憎しみ合うこともすべて同じよ。沢山の人と係わりあえるのならそうした方がいいわ。
あなたが一人で生きることなんて簡単なことよ。だってどんなに愛し合っていても、人は基本的には一人なんだもの。
だからこそ、挑戦してみるのもいいんじゃないかしら。簡単にできることなんてつまんないでしょう?
でもこんな事私が言っちゃいけないわよね。世間から隔離されて、この小さな世界で生きることになってしまったんですものね」
ミツコはハッとした様な顔をして、そして微笑みを作って言った。
「判りました。ヨーコさん。私何となくヨーコさんの気持ちが判るような気がします。私また恋を探します。きっと誰か私を必要としてくれるわよね。そして普通の女として普通以上に楽しみます。それでいいですよね」
私は微笑んで頷いた。
ミツコは本当に私の気持ちを良く理解してくれる。彼女の自由や、若さが少し羨ましかった。
エディが心で言った。『ヨーコありがとう。良かったね』
『エディ、充たされるって求める気持ちも無くなるって言う事なのよね』
彼は少し寂しそうに頷いた。
エディが言う。「アルン。遅くなったから、ミツコを送って行ってくれないか?」
アルンが頷いて立ち上がる。
私が尋ねる。「ミツコに危険はない?」
アルンは大きく頷いて答えた。「女性の心理は難しいが、敵の事なら何でも良く判るんだ」そして小さな声で付け足す。「寂しいことにね」
私達はそれを聞いて笑った。ミツコも立ち上がって用意をする。私達もロビーまで送って行った。
ミツコが言う。「今日は本当にありがとうございました。そして御馳走さまでした。本当に来て良かった」
私は手を差し出して言った。「また会いに来てくれるかしら?」
彼女はその手を取って言う。「本当にありがとう」
彼女は何も言わずに首を振った。エディがアルンに言う。「頼んだぞ」
アルンは黙って頷いた。
ミツコがアルンのメルセデスに乗り込む。私達は車が門を出るまで見送った。
「ミツコって本当にメルセデスみたいね。エレガントで、強くて、優しいの」
「でも運転手が居ないと動かない」
「あら、メルセデスの運転はアルンにに決まってるわ」
エディが言う。「後は二人の問題さ」
私はその言葉に頷いた。
私達は部屋に戻った。部屋はもうすでに綺麗に片付けられていた。
私が言う。「エディ。私本当に肥っちゃいそうよ」
「どうして?」
「だって家の中の仕事で私の出来る事って何も無いんですもの」
彼が笑う。「任せといて。僕が充分運動させてあげるから」
私は彼の胸を軽く突く。「そう言えばあなた随分我慢していたのね。私が全然気が付かなかったわ。私はあなたの愛にいつも充たされていて、とても満足していたのよ。それにあんたはいつも穏やかに私を愛していてくれたわ」
彼が口の端を上げて笑う。「ジェントルマンは欲望を表に出したりしないのさ」
「でも私、何度もあなたの心を覗いたわよ」
「君が起きている間は、僕だって見ているだけで満足していたんだよ。だって、やっと君に巡り会えたんだもの。それだけで充分過ぎる程幸せだったんだ」
私は口を尖らせて言う。「あら、過去形になってるわね」
彼は私をソファーに押し倒すと私の胸に頬を付けて言う。
「今はもう君を抱けるからね。これ以上の幸せは無いんだよ」
私は彼の髪に触れながら言う。「私はあなたに出逢うまで、人は心で愛し合うものだって思ってた」
彼が顔を上げて私の顔をのぞき込む。
「でもあなたと出逢って初めて体で愛し合うことを知ったわ。そして心と体が一つだって言う事もね」
私は首を上げて彼に口付けする。
彼が笑って言う。「君はとっても貧しいセックスライフを送ってたんだ」
私も笑って言う。「そうよ。だって私はあなたみたいにお金持ちじゃ無かったもの」
彼が首を傾げる。「そう言う問題だろうか?」
「ええ、そう言うものよ」
彼は軽く口付けする。「じゃあ君のセックスライフをリッチにしよう」そう言って彼が手をセーターの中に潜り込ませる。私は笑って彼の手から逃げ出す。
「くすぐったいわ。まずお風呂に入ってリラックスしてからよ。楽しみは後の方がいいのよ」
彼は、口を尖らせて言う。「ヨーコ、楽しめる時に楽しまないと、間に合わないかも知れないよ」
私はバスルームに向かいながら言う。「間に合わなかったら、また生まれ変わるわ。それでダメならもう一度。私って結構気が長いのよ」
彼はあきれた様な顔でバスルームに付いて来る。そして言う。「ヨーコ。今も楽しんで次も楽しむんだよ」
私が言う。「中国人って欲張りなのね」
彼は片目をつぶって見せると言った。「日本人が変なんだよ」
私はバスタブに栓をし、お湯を一杯に出した。そしてバスタブに腰掛ける。
彼が言う。「ヨーコ。ずっと此処で見ているつもりかい?」
「だって、お湯が溢れちゃったら困るでしょう?」
彼はあきれた様な顔をして椅子を持って来ると、私をそれに座らせた。そして自分がバスタブに腰掛ける。私達は蛇口から勢い良く出るお湯の音を聞きながら話した。
「ヨーコはやっぱり日本的な方が好きかい?」
私は首を傾げる。「わからないわ。でももう日本的な愛し方だと物足りないかも知れないわね」
今度は彼が首を傾げる。
「だって私、あなたの愛し方ってとっても好きなの。あなたは私のして欲しいように私を抱くわ」
「君の思うようにかい?」
私は頷く。
「ええそうよ。まるで私の心を読んでいるようにね」
彼が笑って言う。「まさか。あの時に君の心を覗いたりはしないよ。僕は僕のしたい様にしか愛せない」
私はお湯が音を立てて落ちるのを見ていた。そして自分で服を脱ぎ、彼の前にひざまづく。そして彼のシャツの釦を外し、ベルトを外して彼のズボンを脱がせる。彼は自分で下着を脱いでお湯を止め、バスタブに半分溜まったお湯の中に横たわる。
「ヨーコ。おいで」彼が言う。
私は彼の上に重なるように体を横たえた。そしていとおしい彼のすべてを愛撫する。それは私のしたいように、そしてしたい方法でだった。
彼が言う。「君は、僕の思う様に愛してくれる」
私はそれに答える。「心を読む余裕なんてなかったわ」
彼は私を強く抱きしめてくれた。そして私達は交代で髪を洗いバスを終えた。
二人で髪を乾かし、ブランデーを飲んでベッドに入る。求めても求め尽きない。そして与えても与え尽きない。それが肉体を持って生きていると言う事だった。