大江辺り 元伊勢     

2006年8月6日、京都府加佐郡大江町にある「豊受大神社」(元伊勢外宮)と「皇大神社」(元伊勢内宮)へ行ってきた。
最初に行ったのはもう15年ぐらい前。その後全部で5〜6回は行ってるかな。
外宮の方は、最初に行ったときと全然変わってないけど、内宮の方は随分綺麗になった。

今回は、岐阜の夏ちゃんと、夏ちゃんの友人がお二人、名古屋から「数霊」の本の著者深田さんと、東京からは笙の奏者モモちゃんと現地での待ち合わせ。

夏ちゃん達3名は、前日天橋立で一泊。籠神社や奈具神社、細川ガラシャ夫人の隠棲の地などをめぐった後。
私達は、前夜交流会だったので、朝大阪を出発。
途中渋滞に巻き込まれたり、高速の降り口を間違ったり
(^,^;)して1時間ぐらい遅れた(‥ゞ
でも、夏ちゃん達も少し遅れてくれたので、外宮で何とか合流!!

今は、携帯があるからこう言うときに便利だよね〜
(^_-)

何とか外宮の駐車場にたどり着き、名古屋ナンバーの車の隣に駐車。

豊受大神社
この神社は、船岡山という小高いところに在る。全長200m級の前方後円墳の後円部に建ってる感じ。
この船岡山は、古墳として認められては居ないのですが、もし本当に古墳であったら、200mと言うとかなりの規模!
ここにこれだけの権力者が居たとすると・・・結構歴史が変わってしまうかも〜(^_^;)

こちらは、元伊勢を名乗っているだけあって、伊勢神宮と同じ黒木鳥居があります。
黒木鳥居というのは、木の皮を付けたままの鳥居。
ここの他には、京都の野々宮神社が有名なぐらいで、あまり例のない物らしい。

御祭神はもちろん「豊受大神」
相殿に、日子番能邇々杵命(ひこほのににぎのみこと) 天児屋根命 天太玉命
摂社には、多賀神社 土之神社 月読宮 風之神社
後は周りにいっぱいの小社!!



ここで、少し元伊勢の説明を・・・
第10代「崇神天皇」の御世に、国民の半分ぐらいが疫病で死んでしまうと言うぐらいの厄災があり、「なんでやろ?なんかの祟りやろか???」と思った崇神天皇の夢の中で神様のお告げがあって、どうも、ここに天照大神を祀っていることが良くないらしい・・・倭大國魂大神と天照大御神の仲が上手く行かないらしい・・・と言うことで天照大神の方を追い出した
(‥、)
それでもなかなか疫病がやまない。
次の夢のお告げで神様は、「我が子孫のオオタタネコと言うものを探し出して自分を祀らせろ」と・・・。
それを崇神天皇は実行し、やっと国が治まったという話。

で、追い出された天照大神がどうなったか?
まず崇神天皇の姫君豊鍬入姫を御杖代として宮中から出し、倭国笠縫村に33年留まられたと。
多分今の桧原神社であろうと思われます。
その後、またまた天照大神が「ここも飽きたし別のところへ行く〜」と言ったかどうかは判らないけど・・・但波乃吉佐宮と言われる場所に遷ったらしい。

吾こそが「但波乃吉佐宮」と言うので、この辺りに元伊勢が沢山在るんですね〜。
天橋立の籠神社もそうだし、もう一つ竹野神社と言う説も
(‥ゞ

でもまぁ、本当に姫君・・・ったって、笠縫村で33年居たって言うことは、10歳で御杖代になったとしても44歳かぁ・・・が、あんな山奥まで本当に行けたんだろうか?

もしかしたら、国造りの過程で地方豪族達を味方に付けていった過程をこんな話に仕立てたと言う説もあり。

だったら、船岡山が古墳だとしたとき、そこに祀られているのはその部族の長で、それだけ大きかったって言うことは、かなりの実力者だったと言うことになるね
(^_^)v

でも・・・ここが但波乃吉佐宮だったら、何故天照大神じゃなくて今は豊受大神?

豊受大神の豊と、豊鍬入姫の豊って・・・もしかして何か関係あるのかな〜?
そう言えば、卑弥呼の宗女「トヨ」って言うのも居たなぁ・・・。
豊玉姫とか、神功皇后の豊浦の宮って言うのも・・・。
聖徳太子だって豊聡耳の尊だったし・・・。
「豊 トヨ」、奥が深そうだ〜♪

でぇ、最終的に、伊勢まで天照大神をお連れしたのは、高齢のため旅が出来なくなった豊鍬入姫の跡を継いだ倭姫。
全部で25カ所回ったんだけど、6カ所目「彌和乃御室嶺上宮」あたりで交代してるらしい。

倭国 笠縫邑→但波乃 吉佐宮→倭国 伊豆加志本宮→木乃国 奈久佐濱宮→吉備国 名方濱宮→倭国 彌和乃御室嶺上宮

結構不思議な動き方だよね〜。
倭(奈良)→但波(丹波、丹後)→紀伊国(和歌山)→吉備(岡山)→倭(奈良)に戻ったわけ。
丹波、吉備と言えば製鉄。和歌山にも吉備という地名が今でもあるし、何かコネがあったと見るべきだろうね〜
(^_-)

この後は、倭姫が、伊賀の方から近江に行って尾張、美濃、その後伊勢に辿り着いてる。
まぁ、こっちの方はなんか少しづつ動いてラインになってるんだけど・・・。

やっぱ何かあるよね〜
( ̄ー ̄)ニヤリ

約60年もかけて伊勢に辿り着いた天照大神が、「雄略天皇」の代になって
吾れ一所のみ坐すはいと苦し、しかのみならず大御饌も安く聞こし召さず、丹波国比治の真奈井に坐す等由気大神を、我が許に連れて参れ』
と、御神託を下したとか・・・。
「等由気大神」とゆけのおおかみと読むのですが・・・まさしく豊受大神ですよね〜。
現に伊勢の外宮さんには豊受の大神様がおられるわけですし・・・。
天照大神のおっしゃってるのは、「うち一人でここに居てるのって寂しいし・・・食べ物もなかなか手にはいらへん・・・丹波の比治の真奈井に居てはるとゆけの大神はんを呼んで〜や〜」と言うこと
(‥ゞ
(しかし・・・ねこが書くと、何故神様がみんな大阪弁になってしまうんだろ〜(^^;ゞポリポリ)


でぇ、後から呼んで来たのですが、何故か天照は、自分を祀る前に先に外宮をお祀りしなさい(外宮先祭)とおっしゃってるんです!

日本で一番偉い神様が、自分より先に祀れって・・・これって凄いことなんですよ。
例えば、あの盛大な天神祭で有名な大阪の天満宮でも、お正月のお祭をするさいには、まず本殿裏に祀られている土地の神様にお祀りをするぐらい。
と言うかぁ、先におられた土地の神様を差し置いて、後から来た神様を祀るわけには行かないと言うこと。
先に伊勢に辿り着いて、後から豊受大神を招いたにも関わらずそちらを先に祀れって言うことだから・・・。
それだけ大きな神様なのか?
それとも元々そこにいた神様だったのか?

まぁ、ねこの暑さで煮えかけた頭で理解するのは到底無理と言うものです!!



本題に戻りまして・・・
外宮に辿り着いて、やっとこさ階段を登っていったら、シャランシャランと鈴の音が♪
「あ〜、先にお参りしてるな〜」と。

滝のように汗を流しながら本殿前まで辿り着き、皆さんとご挨拶もそこそこに、まず豊受大神様に、お詫びとご挨拶。

実は、ひもろぎユースキャンプの時に、内宮さんと月読宮だけしかお参りせずに帰ってきてしまったもので、その後ずっと「お稲荷さん」や「豊受大神」さまに追いかけられていた
(‥ゞ
いえいえ、あっちが追いかけてきてたのではなくて、行くところ行くところでそのお社が
(^_^;)
「やっぱり外宮先祭・・・守らないと〜」
とにかく、「その節には失礼いたしました。これからも何卒宜しくお願いいたします」と神様にご挨拶してから、深田さんやモモちゃんに改めてちゃんとご挨拶
m(_ _)m

その後、内宮
皇大神社へ・・・。
ご本殿の御祭神は 天照大神
脇宮は 天手力雄命 栲機千々姫命
末社 熊野神社外80社!!


内宮の参道はまたまた長〜い(;^_^A アセアセ…
「どうぞ先に行って下さいね〜。後からボチボチ行きますから〜」と先にギブアップ宣言。

相変わらず夏ちゃんはあそこの巨木に吸い寄せられるように走って登って行き、巨木(癌封じの木)の辺りで一休み
f^_^;
やっとの思いで追いついたら・・・
「なんか、この木に引っ張られるの〜
(*^_^*)」って。
「そりゃ〜夏ちゃん・・・前に来たときその木にラブラブしてたやん。木も再会出来て嬉しいんだよ〜」
「そっかぁ〜♪」と言いながら、また「わーーっ、また引っ張られる〜」と言いながら飛ぶように登る。
「そうそう、前一緒に来たときアンタ、その上の巨木(麻呂子親王お手植えの杉)にも確かラブラブしてたし〜
(-_-)

ご本殿 向かって左の巨木は龍灯の杉 日室岳遙拝所

とにかく、ヨレヨレになりながら辿り着き、手水を使って一息入れる。

夏ちゃん達は、社務所に行ってご神前で笙を吹かせて下さいとお願い。
とても良い神職さんで、「何か用意する物はありませんか?」と訊いてくれたりして、なかなか好意的
(^_^)v

ねこきりは、取り敢えずご本殿前の日陰でぼぉ〜
(^o^;

世話役のような人が椅子を用意してくれて、その間モモちゃんは携帯用小型バーナーで笙を温める。
笙って、暖めないと鳴らない・・・。
だから、神職さんが「何か用意する物は?」って訊いてくれたんだって!
バーナーで暖めているのを見て神職さん「ええもんがあるんやなぁ〜。昔やったら七輪か火鉢が要ったのに・・・」と。
ここの神社で神様に笙をお聞かせしたのは初めてだったらしい!!
凄〜く喜んで下さいました
(*^_^*)

ねこきりもお相伴で、お祓いして貰って笙の響きに身を委ねられて、ラッキッ
(^_^)v

その後、世話役らしい人に「是非に!」と勧められ、写真右の日室岳遙拝所で参拝!

夏至の日には、この遙拝所から日室岳のてっぺんに夕日が沈むのを見られるらしい。
ここって要するに、太陽信仰の聖地なんだよね。
太陽崇拝をする一族が住んでた場所。そう考えたら、豊鍬入姫の回ったと言われている地方に新たな関連性が出て来るかも
(^_-)


逆光ながら写真を1枚いただいた後、坂道をゆっくり下って、
天岩戸神社へ!

余談ですが、まが研会長は、大雪の日と豪雨の日にここに来たらしい
f^_^;
今のところねこきりはそう言う目には遭っていません
(^_^)v

実はモモちゃん・・・鎖を頼りに下駄履きでご本殿前まで登っちゃったんですよ〜
(^◇^;)

天の岩戸神社 多分右の岩が御座石(みくらいし)

ちょっとスケールの小さい高千穂峡と言った感じf^_^;
作りはちっちゃいけど「気」の方はバッチシです♪


近世では、大本教の出口王仁三郎さんと出口ナオさんが「水のご用」でここに来られています。
ここは、禊ぎの場所ですね
(^_^)v


なんか、今回は暑すぎて、あまり写真も撮れなかった
m(_ _)m

秋になったら、また写真を撮りに行って、この続きで大江の鬼退治伝説とかもご紹介しますね。
麻呂子親王のツチグモ退治とか・・・酒天童子の伝説とか・・・
それと豊受大神に繋がる「羽衣伝説」もあるし〜。

丹波〜丹後・・・まだまだ何かが隠されてる・・・はず
(^_-)


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