葛城&田原本編

2003年7月27日、葛城一言主神社と高天彦神社へ行った。
この2社は、「メモリー」続編の「藤花薫・・・」の章で、大神神社と共に出てくる神社。

始めて行ったのはもう7〜8年前だったと思うのですが・・・記憶が定かではない
(^,^;)
その時は、上記の二社に加え、高鴨神社にも行った。
そちらの方は、結構規模も大きくて綺麗な神社だったのですが、一言主神社→高鴨神社→高天彦神社の順番で周り、最後の高天彦神社の印象があまりにも強かったため、物語の方には登場せず・・・。

今回は、物語と同じ順番で、まず
一言主神社から。

拝殿 参拝時には御鏡に自分をうつしながら御参拝できます

なんか中途半端に切れた写真でごめんなさい。
御祭神は、もちろん一言主の大神様。
第21代雄略天皇の御代、雄略天皇が葛城の山に狩りに出かけたとき、天皇と同じ装束で、同じように供を連れて前から来る人が居る。それで天皇が「我と同じ装束とは無礼者め!名を名乗れ!」と言ったかどうか・・・
(^^;ゞポリポリ
で、その天皇と同じ装束の人が「吾は悪事(まがごと)も一言 善事(よごと)も一言 言離(ことさか)の神 葛城の一言主の大神なり」と答えたそうな。
神社の御由緒によると、それで雄略天皇がこの大神を深く崇敬されて、大いに御神徳を得られたと言うことになっているのですが・・・。
普通、自分を偉いと思っている人(雄略天皇ってかなりの暴君と言われている)が、相手に、自分より偉い「神」だと名乗られて、「そうですか・・・」と急に謙ったりはしないよね
(^_-)
で、色々違う説も残っています。
葛城王朝の王と、大和王朝の雄略天皇がそこで出会ったと言うことでしょう。
結局葛城王朝は滅ぼされ、歴史の彼方へ葬り去られたと言うのが妥当なところではないかと思っていますが・・・。
事実、後の時代に一言主の大神は四国阿波に流されたりしていますから
(‥、)

まぁ、そう言う歴史的な事は良しとして、取り敢えずとても気持ちの良い場所であります。

境内社 神宮皇后社 天満社 八幡社 市杵島姫社 稲荷社 住吉社 祓戸社等

境内には「乳銀杏」と言って、15人ぐらい子供を育てたようなお乳(つまりぶら〜んと垂れ下がったお乳)が沢山垂れ下がっている大きな銀杏の木が在ります。
樹齢1200年と言われている老大木で、この木に祈願すると子供を授かり、お乳の出が良くなると伝えられているそうです。
冬至の日には、「一陽来復祭」が行われ、境内では大根焚きがあり参拝客に振る舞われるんだって。


なかなか良い気持ちで一言主神社を後にはしたものの、どうも愛車の調子が悪い。少し前からたまにABSの警告灯が点灯しては消えている。
そう言えば、前にこの辺りを走ったときにも、前の車のABS警告が点いてたような気が・・・。


車に不安を感じながらも、そのまま
高天彦神社へ行った。
途中でやっぱり警告灯が点灯!まぁ、大丈夫だろうと言うことでそのまま山道を登り、参道前に到着♪
「えっ?! 此処があの高天彦神社〜?」と言うぐらい綺麗になっている。
なんか、立派な駐車場もできていて、その上駐車車両がいっぱい
(*_*)
路上駐車しようかどうか迷っていると、子供連れの人が戻ってきて、一つスペースが空いたのでそこに駐車。
「何かお祭りでも在るんだろうか?」と首を傾げながら、参道を歩く。
前に来たときは、この参道が結界になっていたのか、まるでプールの中を歩いているような感じで、足がなかなか前に進まなかったところ。しかし、今回はそんなに抵抗無く歩けた。
鳥居前に発つと、ムッチャ綺麗に立て直された新しい休憩所が目に飛び込んでくる。
「ウッウッ、前に来たときはもっと汚〜いベンチが在っただけだったのに〜」
しかし、鳥居を潜ると、やはり前に感じたのと同じ「気」。
一気に身体が軽くなって、懐かしいような心地よい感じ♪

高天彦神社正面です。左に少し写っているのが新しい休憩所

神社内には何も説明書きがないので、帰ってから調べた所によると、御祭神は高皇産霊神(葛城王朝の祖神らしい?) 市杵島姫 菅原道真 と言うことらしい。
本来は多分「高天彦」と言う名前の金剛山の神霊ではないかと言うことのようです。

そう、物語にも書いたように、前に来たときは本当にこの社殿の向かって左横に、大きな道に繋がる口が開いていたように感じたのです。
参道を通り抜けるときの抵抗と言い、その在るはずのない穴というか口の存在と言い、あまりに印象が強かったので、そのまま物語に書いたというわけです
(^^;ゞポリポリ

この小さい祠の間、後ろ側に、岩境が在ります

きりぎりす君がこの後ろで「光のマニ宝珠の大神様」を差し上げてくれました。
その間、ねこはずっと気を感じながら佇んでいたのですが、途中で普通のカジュアルな格好をした二人連れの男性が参拝にやってきた。
一人は大きな法螺貝を抱えている。そして、数々の祝詞や陀羅尼を唱えて、立派な法螺貝の音も聞かせていただいた。
なんとも素晴らしい振動を持った声であり、法螺貝の音でありました。
それが山伏の格好をしているわけでもなく、普通の服装で、飄々とやって来て、さっさと帰っていったわけ・・・。
そう言えば、少し年上風の人が祝詞をのったり法螺貝を吹いたりして参拝が終わったら、若い方のTシャツ姿のお兄ちゃんが「ありがとうございました」と恭しく言ってたなぁ・・・。
あれはまさしく師弟関係。
いつも一緒に遊びに行くゾーさんや、あんな人達が小さな神社でも心を込めてお参りして回っているんだろうなぁ・・・。それで最近何処の神社もエネルギーが上がっているのかも知れない。
沢山の無名の人達、本当に有り難うございます。

それにしてもあんなに駐車場がいっぱいなのに、何故人が居ない???
よく考えてみたら、この神社の横に葛城山の登山口が在る。多分、此処に車を止めてみんな登山してるんだろうなぁ・・・。「まっ良いか!!」

これが後ろのお山 ご神体山になります

この後昼食を食べる為に少し戻って、葛城御歳神社へ行く予定だったのですが、とうとうABS警告灯が点きっぱなしの状態(^_^;)
で、心配性のきりぎりすは、「車屋へ持っていく!」と宣言。確かこの車を買った会社の本社がこの辺りにあるはず。取り敢えず担当者(春一仲間、友人です)に電話したら、生駒まで持ってきて欲しいとのこと。
途中で止まっても困るので、結局そのまま生駒へ向かって走ったわけです。
その途中に田原本町の辺りを走って、ちょっとめぼしい神社をめっけ♪
この続きはその田原本町辺りです。

2003年9月7日
奈良県田原本町辺りへ行った
そうそうきりぎりすの愛車・・・、そのまま生駒まで持っていったものの、結局原因は分からず。それでコンピューターを一度リセットして「暫く様子を見て下さい」と言うことでした。
その翌日にはゾーさんとつばささんを乗せて高野山までドライブに行った。
ABS警告は点くし、帰りにはエアコンから暖かい風が〜
(‥、)
で、結局ちゃんと判る工場に持っていって検査入院。が、部品が無いのですぐには出来ず。部品が入った後再入院と言うことでまたそのまま乗り続けていた。
それが、とうとう大阪市内で動かなくなった。エンジンはかかっているもののギアがニュートラルに勝手に戻ったっきりどこにも入らない・・・
(;-_-X;)
レスキューを呼んで炎天下待つこと30分余り。そのまま輸送車に乗せられて入院と相成ったわけです。
ねこは、あれから電子警告音が怖い!!トラウマ状態になったかも・・・。だって、本当に交差点の中に入る寸前でにっちもさっちもいかなくなって、むっちゃ怖い思いをしたんだから。
まぁ、そうこう言っている内に1週間ほどで車は帰ってきて、その後は調子よく走っています。



で、本文に戻って、田原本の
鏡作坐天照御魂神社
ここが、葛城から生駒へ向かったときに気になってた神社♪
名前は、随分前から知ってた。何たって愛しの「ニギハヤヒ」様関係の神社ですから。
御祭神は「天照国照日子火明(あまてるくにてるひこほあかり)命」 「石凝姥(いしこりどめ)命」 「大糠戸命」

鏡作坐天照御魂神社 参道です

なかなか小社ながら立派な参道でしょ?「気」もなんか穏やかで良い感じなんですよ♪
御由緒は、崇神天皇6年、皇居内より天照大御神を笠縫村に遷座したときに、ヤタノ鏡を皇居から出した。その代わりの神鏡を鋳造した際の試鋳の像鏡が御祭神と言うことのようです。なんか、偽物の試鋳が御祭神って、有り難くないよねぇ・・・。
だって、ちゃんと
天照国照日子火明命って神様の名前まで判ってるのに。それを偽物の試しの鏡なんて・・・私は絶対納得しません!!
まぁ、私のようなニギハヤヒファンの皆さんが沢山訪れるからか、とても綺麗な社殿に建て直されているようです。昔の本に載ってる写真とは大違い
(^^;ゞポリポリ

拝殿横から ご本殿を撮しました

きっと、神社の方にも色々都合があったのでしょう。でも、とても素敵な場所でしたよ。
境内には自然木によるヒモロギも在るし、平日だったせいか人も居なくて気持ちよさを満喫できました。

ヤタノ鏡を模した鏡池 ヤタノ鏡って真ん中に5弁の花があったんだぁ!

この辺りには、保津の伊多神社 宮古の伊多神社 麻気神社 石見の鏡作神社と、まだまだ銅鏡制作に携わった人達の神社がたくさんあります。
一つづつ巡っていく楽しみが出来ました
(*^_^*)
それらの神社の御祭神は、石凝姥命やその父親とされている大糠戸命など。銅鏡制作者の神様です。そうそう後「天目一箇(あめのまひとつ)命」なんていうのも在りますね。
長い間溶鉱炉を片目で見続けると、どうしても目を痛めて片目になってしまうかららしいです。一つ目小僧の元の形なのかも???


この田原本町辺りは、唐古 鍵遺跡が発掘されている場所です。
その遺跡からは鏡だけでなく石製の銅鐸の鋳型の破片や、鞴なども出土しているそうです。
遺跡を公園化して今は下のような建物が・・・
(^_^;)

土器の破片に書かれていた建物を造ったようですf^_^;


それと帰りがけに思いがけないものを発見♪
おまけに載せておきますね
(^_^)v

鍵の蛇巻き

これを見たときにびっくりしたんだよね。昨年出雲へ行ったときに「命主神社」と言う本当に小さな神社に行ったの。まぁ経緯は「出雲編」をご覧下さい。
そこにこれと同じものが在ったのです。藁で作った龍のごときもの。
それで急いで調べてみたら、農耕祭祀の一つらしい。「蛇巻き」で調べると此処のものと隠岐のものだけが引っかかってきた。
私達が見た命主神社のは残念ながら判らなかったのですが、隠岐と言えば出雲に近いし・・・。もしかしたら農耕祭祀としたらあまりにもポピュラーで、誰も書いてないのかも知れない
(^_^;)
あっ、でもそれを調べたときに「命主神社」のことも少し判った。あの場所は元々大きな岩がご神体としてあった場所。(多分ヨーコちゃんが長いものを連れて入っていった森がそうだと思うんだけど)その岩が持ち出されてしまったらしい。
で、その岩を動かすときに私の大好きな翡翠の勾玉と矛が見つかったんだって。
その翡翠は出雲大社の宝物館に飾られていて、いつも見るたびに「この勾玉は、昔私のものやった!!」と勝手なことを言ってるねこです
(..;)""> ポリポリ


なんか、今回はちょっと場所も意識も飛び飛びで変な構成になってしまいました。
まぁ、夏の疲れで車も頭もボーっとしていると言うことで
<(_ _)>

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