生駒辺り

2004年1月29日 生駒の東側を探索!
生駒山の宝山寺や信貴山へは良く行くのですが、今回は初めて大阪からは向こう側になる生駒市へ。

まず最初に
往馬大社(いこまたいしゃ)

ご本殿

ずらっと並んだ社殿で判るように、ご本殿の御祭神が沢山居られます。
伊古麻都比古神 伊古麻都比売神(この二神は産土の大神です)
気長足比売(おきながたらしひめ 神宮皇后)
足仲津比古尊(たらしなかつひこのみこと 仲哀天皇 神功皇后の夫)
誉田別尊(ほんだわけのみこと 応神天皇 神功皇后の子供)
葛城高額姫尊(神功天皇の母君)
気長宿祢王命(神功皇后の父君)
この7柱がご本殿に坐す。要するに産土の大神様2柱以外は、神功皇后のご家族と言うことのようです。
で、最初の2柱の神様。たぶんこのお方達が最初に此処に祀られていた神様。
こちらの神社は龍田の風神祭、広瀬の水神祭と並び往馬火祭りとして古くから古式に則ったお祭りがなされているとか。
つまり伊古麻比古神と伊古麻比売神とは「火」の神様のようです。
この神社がある辺りは、我が愛しのニギハヤヒ様が最初に居を構えられた場所の近所と言うことで、この「火」の神様も・・・怪し〜い♪
この後に巡った近くの神社にもそれらしい形跡が残っているし・・・。

神社の感じですが、とにかくとっても気持ちの良い神社です。
平日で人が居なかったというのもあるのですが、なんだか古〜〜い記憶が蘇ってきそうな感じが・・・。
この日回った神社全部そんな感じで、「絶対此処で暮らしてたことがある!この道を歩いたことがある!」とねこもきりぎりすも思い続けた一日でした。

いつか歩いたことのある道・・・記憶の底の方がムズムズしました

上の写真は社殿に向かって右側の参道なのですが、思い出すことに対する恐怖さえ克服できればきっと何か思い出せたはず・・・(^_^;)

本殿に向かって左側の境内摂社です

まぁおなじみの神様達が軒並み居られました。
裏の御山に向かって同行者のゾーさんはいつもの光のマニ宝珠の大神様をしてくれました(^^)v

この後昼食を食べてから次の目的地へ!
平群町にある
生駒山口神社(伊古麻山口神社 滝の宮)
住宅地を抜け、細い川沿いに少し走ったところに在ります。
ちょっと階段が沢山あったけど、よっこらしょと登ったところに、ピンクの社殿!!
いやぁ〜、ちょっとびっくりです。だってピンクのペンキで塗られてるんですよ〜
(-_-;)
そのせいか、此処では、何となく悲しみのような感情が伝わってきました。

拝殿正面から

これがピンクのご本殿です

御祭神は素戔嗚尊 櫛稲田姫命
此処の裏が昔の生駒山への入り口だったのでしょうね。それで山口神社。
この裏へ続く道へきりぎりすはふらふらと迷い込んでいました。
そう、確かにここから登ったことがある!!
あ゛〜っ、脳味噌が痒い
(>_<)

次は同じ平群町で少し里へ下りた所にある「
楢本神社
こちらの御祭神は菊理姫命(くくりひめのみこと)
ニギハヤヒ様、アラハバキ大神に続く封じ込められていた大神様ですが、最近復活を果たして居られるよう

まぁ、封じ込められたとはいえ白山信仰で全国各地にお祀りされています。
ただ、この大姫神様が結構蔑ろにされていたようで・・・。
最近ちょっと良い感じで力を付けて居られるのか、小さな里宮ながら境内にとても良い気が満ちていました。

楢本神社遠景

これぞ日本の鎮守様と言う風情でしょ?田圃に囲まれていて、用水路には綺麗な水がさらさらと流れていました。
この神社の境内でもやっぱり古い記憶がごそごそと動く。上の写真左側に土の軟らかい場所があって、その上に立って山の方を見ていると、なんだか懐かしくって涙が出そうな感じがしました。

結構良い気が立っているご本殿です

人が居なかったのでゾーさんはご本殿の真ん前で堂々と光のマニ宝珠の大神様をされていましたよ。

その後、我が愛しのニギハヤヒ様縁の神社へ!
平群町の越木塚と言うところにある「
平群石床神社」(へぐりいわとこじんじゃ)
途中で道に迷ってしまい、ジモピーのおじさんに尋ねたら「古い方と新しい方があるけど」とのお言葉。そりゃあやっぱり元の宮へと言うことで古い方を教えて貰った♪
教えて貰ったとおりに、途中に車をおいて暫く歩く。そして標識どおりに道を降りると、ナナナント御神体の磐坐から私達は降りてきてる
(>_<)
それにしても大迫力です。

私達はこの岩の右側から降りてきたわけです(-_-;)

何が凄いって、エネルギーがぁ!それに岩の迫力もぉ!
この磐坐、高さ9m幅18m在るそうです。

まんなかのきりぎりすが身長178cmありますから・・・

ゾーさんが神業をしている間、ねこはこの岩の前で何故か身体がぐるぐる回り始めて止まらなくなってしまった(-_-;)
あのエネルギー、いったいなんやったんやろ〜???
此処は、絶対にまた行きたい!お気に入りに追加です
(*^_^*)

で、来た道(御神体乗り越え)ではなく鳥居の前から車を止めたところまで普通に歩いて戻れました。
そこから車で5分ほどの所に新しい平群石床神社。
御祭神はニギハヤヒ命(劔刃石床別命)
右殿には太玉命、左殿には素戔嗚命
どうもこの場所には最初素戔嗚命が祀られていて、大正期に大きな磐を御神体としていた石床神社を移されたようです。

拝殿です。後ろのご本殿はただいま修理中。綺麗な写真が撮れませんでしたm(_ _)m

境内摂社「消渇神社」(しょうかちじんじゃ)が左手の方に在ります。
こちらは陰陽の土団子を12個作って、お供えして願を掛けるとか・・・。
磐坐の方もやっぱり陰陽石になってたし・・・かなり古い信仰形態を保っているようです。

そう言えば消渇を正勝の神とも書いてあったなぁ・・・
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命・・・と言う名前の神様が。
オシホミミの命って天火明命のお父さん。それで天孫降臨のニニギの尊が天火明命の弟。
天火明命がニギハヤヒで・・・?
で、ニギハヤヒも神武よりも先に大和に降っていた訳だし・・・
なんだか色々絡み合ってるよぉ〜。

此処の神社の後由緒が書いてある看板には、ニギハヤヒがこの国を最初に作ったって・・・。あんなに堂々と書いて、天皇家や神社庁から叱られないのかなぁ
f^_^;

とにかくこの辺りは、色々深〜いです♪

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